Beginning
聖霊の中で生きる人生
8 だからこそ、今やイエス・キリストに属する人は誰であっても死の判決を受けることはない! 2 なぜなら、あなた達にいのちをもたらす「霊の掟」がイエス・キリストを通して、過ちと死をもたらす「掟」からあなた達に自由と解放をくれるからだ! 3 そう!人間には弱さがある。だから、その「掟」では過ちの支配から私たちを救い出すことが出来なかったのだ。ところが掟にはできなかったことを神が果たしてくれた!それはつまり、神のひとり子に私たちと同じ体、すなわち、私たちが過ちのために用いてしまう肉体を与えたのだ。神は私たちの過ちを取り除くために、彼をその肉体と共にこの世に遣わしたのだ。神はその方のいのちを使うことで、過ちに死刑を宣告したのだ! 4 今や、私たちは人間の弱さに従うのではなく、聖霊に従うことによって神の掟を生きることができる! 5 人間の弱さの言いなりになる人は、自分が望むものだけを考える。だが聖霊に導いてもらう者は、聖霊が望むものを考えるのだ。 6 もし、あなた達の考えが人間の弱さに導かれているのなら、行き着く先は「滅び」である。だが、もしあなた達の考えが聖霊に導かれているのなら、行き着く先には「平安」と「いのち」である! 7 なぜこれが本当だと言えるのか?それは人間の弱さによって導かれるそれらの考えは、神と反抗し戦っているからだ。それらの考えは、「神の掟」に従うことを否定する。いや、それらは掟に従うことができないのだ。 8 人間の弱さに導かれる人は、神を喜ばせることができない!
9 だが、あなた達はそうではない。もし神の霊があなた達のうちに住んでいるなら、神の霊があなた達を導いていることになる。もし、その人の内にキリストの霊が住んでいないのなら、その人はキリストに属している者ではないと言えるのだ。 10 しかしキリストが内に住んでいるのなら、聖霊がいのちを与えてくれる。なぜならば、あなた達は過ちと滅びから自由になったからだ。それはたとえあなた達の体が過ちによって滅びに向かっていてもだ。 11 神がイエスを復活させた。そして聖霊があなた達の内に住んでいるのなら、神はこの同じ聖霊をあなた達の死んだ体に送るだろう。そう!あなた達の内に住む聖霊を通して、キリストを死から復活させた力があなた達を再び生き返らせるのだ。 12 だから兄弟、姉妹のみなさん!私たちの人間的な弱さに導かれてはいけない!それは私たちを自己中心的な欲へと導いてしまうから。 13 もし、人間的な弱さに導かれてしまうのなら、あなた達は滅び、そして死を迎えるだろう。しかし、もしあなた達が神の霊的な力に自分をゆだね、自己中心的な性質と邪悪な行ないを終わらせれるのであれば、本当のいのちを受けとることになる。
14 神にとっての本当の子供たちとはこの様な人たちのことで、聖霊によって導かれる者たちのことだ。 15 だからこそ、私たちが受けとった霊は、ビクビクしてしまうような奴隷の霊ではなく、選ばれた神の子供としての霊なのだ。私たちはこの霊によって神をアバと呼ぶ。——【アバ:アラム語で小さな子供がお父さんを呼ぶときに「パパ」のように使われる言葉】
16 聖霊が私たちの心の奥底で、私たちは本当に神の子供だ、と語りかけてくれているからだ。 17 そして、私たちは神の子供として、神が人々に用意してくれているその祝福を受け取ることが出来るのだ。神がキリストに与えた全てを私たちにも与えられるという約束だ!私たちがもし、イエスの受けた苦しみを同じように味わうのなら、イエスが栄光を受けたように、私たちも栄光を受けるのだ。
栄光が再び輝くとき
18 しかしどう考えてみても、私たちがいま受けているその苦しみは、将来すぐに味わうことのできる喜びの栄光に比べたらどうってことないはずだ。 19 神が造ったものは驚きとワクワクでいっぱいだ。やがてやって来るその日を楽しみに待っている。そしてその日に、誰が本当の神のこどもたちなのかが明らかになるだろう。 20 神が造った全てのものは神の思い通りには動かず、呪いの下に置かれた。それは神の望み描いていた選択肢ではなかったが、神は希望を残してそうさせたのだ。そしてその光景とは、 21 神の創造物も滅びの力から解放され、神の子供たちが得ている自由と栄光を持つという光景だ。
22 神の創造物でさえ、今まで子を産む母のような苦しみにうめいていることを私たちは知っている。 23 神の創造物だけではなく、イエスを信じる人たちだって同じようにうめき声をあげている。私たちは、聖霊を神からの最初の約束として受け取っているからこそ、神の子供としての完全な権利が与えられるその日をひたすらに待ちこがれているのだ。要するに、私たちの体に自由が与えられることを待ち望んでいるということだ。 24 私たちはこの希望を抱くために救われた。その希望はまだ見えるものではない。見えてしまえば希望ではなくなってしまう。すでに手に入れたものに対して希望を抱く人はいないからだ。 25 私たちはまだ手にしていないものを根気強く待ち望んでいるのだ! 26 また、弱気になっていたとしても神の霊は私たちを助けてくれる。なんと祈ったらよいか分からないときでさえ、神の霊は私たちに代わって私たちの心のうめき声を代弁し、神に助けの祈りをしてくれるのだ。 27 神は私たちの深い深い心の奥底までも知っている。そして神の心と一致している聖霊が祈りを把握してくれているのだ。なぜなら聖霊は神が望むものを神の人たちの為に祈るからである。
28 そして私たちは知っている・・・人が神を愛して神の計画どおりに歩んでいるなら、神の霊が全てのものに働き、全てのものが意味のある良いものへとなることを知っている! 29 神は世界を造り上げる前から、彼らのことを知っていた。彼らが自分の息子のようになるのだと決めていたのだ。こうして、イエスが神の人々である兄弟、姉妹たちの長男となった。 30 神は彼らが自分の息子のようになるための計画を立て、息子、つまりイエスと共に正しくあるように彼らを選んだのだ。そして、神は彼らに自分の栄光を与えた。
イエスを通して示してくれた神の愛
31 これら全ての事について何と言うべきだろうか・・・?神が味方なら誰が私たちの敵となるのだろうか? 32 神は彼の息子であるイエスを私たちのために、私たちを救うために送り、苦しみに合わせた。そう!神は自分の息子を私たち全ての人のために受け渡したのだ。だから今、神はイエスと共に残りのものを全て私たちに与えようとしてくれている。 33 神が選んだ人々を誰が訴えることが出来るのか?そんな人はいない!神が自ら彼らのことを正しい人たちだと言っているのだ。それは誰も否定することができないのだ。 34 神の人々に対して誰が有罪だと言えるのか?言える人など誰もいない!イエス・キリストは私たちのために死んでくれたのだから。そして何よりイエスは死から復活し、今では天にある神の右の座で私たちを弁護してくれている! 35 では、いったいどこの誰が、どんな人が私たちをキリストの愛から引き離せるのか?困難や災難、また迫害が引き離すのか?飢えや破産、危険や死が私たちを引き離すことができるのか? 36 聖書にはこうある・・・
「♪神のため、死と隣り合わせの私たちは、
1日中、殺されるのを待つ羊となんら変わらないと思われている」——【詩篇44:22より引用】
37 しかし、こうした困難に出くわしても、たとえ難しい状況の中にいたとしても、私たちを愛してくれている神によって完全な勝利を受け取ることができる!
38-39 そう!そうなんだ!神の愛から私たちを引き離せるものなんて、なに1つ存在しない!死、いのち、天使、強引な悪霊、どれであってもできっこない!今日の恐れも、明日の不安も同様だ。どんな霊的な力が私たちの上にあろうが、下にあろうが、関係ない!全ての生き物にだって関係ない!どんなものでさえ、私たちの王であるイエス・キリストによって、はっきり示された神の愛から私たちを引き離せるものはないのだ!
神とイスラエルの人々
9 これから書くことは私がキリストに属する者としてつづるので、偽りがないことをお分かりいただけるだろう。また、聖霊に満たされた私の心がこれを真実だと物語っている。 2 私の心が絶え間ない悲しみと痛みに覆われている。 3 そう!その理由はユダヤ人の同胞たちのことだ。彼らは私の兄弟、姉妹、そして最初の家族なのだ。彼ら同胞が救われるのなら、キリストとの関係を失うような困難があっても、また呪われたとしてもかまわないとさえ私は思っている。 4 ユダヤ人は神に選ばれたイスラエルの国民だ。神が選んだ子供たちなのだ。彼らは神の栄光を見る者となり、人々との契約を運ぶ者たちだ。神は彼らにモーセの法や賛美をする場所、そして約束を与えた。 5 彼らは私たちの素晴らしい先祖たちの子孫であり、キリストの初期の家族なのだ。そう!キリストは全てを超えた神だ!永遠に神への感謝を!アーメン!
6 決してユダヤ人たちのためにあった約束を神が破棄したということではない!要するに、イスラエル人の全てが本当のイスラエル人ではなかったということだ。 7 アブラハムの血筋を継いでいる全ての子供たちが本当の意味での子孫ではなかったのだ。神はアブラハムにこう言っている。 「アブラハムよ!お前の本当の子孫はイサクの家系から現れる」——【創世記21:12より引用】 8 つまり、信仰の父であるアブラハムの子孫が全員、本当の神の子供であるとは限らないということだ。アブラハムの本当の子孫であれば神がアブラハムに約束した通り神の子供となるはずだ。 9 神はアブラハムにこの様な約束をしている・・・ 「ちょうど、来年の今頃、わたしはお前のところに戻って来る。その頃お前の妻サラは、お前の息子を授かっているだろう」——【創世記18:10, 14より引用】
10 それだけではない。私たちの先祖であるイサクによってリベカが双子を身ごもった時にも同じことが起きた。 11-12 そう!彼らの双子が生まれる前に神はリベカにこう言った。「長男が次男へ仕えるようになるだろう!」これが起きたのは、彼ら双子の兄弟が産まれる前のことで、彼らは良いことも悪いこともする前のことであった。神は彼らが生まれる前にこれを言い、神の計画としてその男の子を選んだのだ。その子が何かをしたからではなく、神がただその子を選んだのだ。 13 聖書では、 「ヤコブを愛し、エサウを嫌った」——【マラキ書1:2-3より引用】とある通りだ。
14 ということは、神は不公平だということなのか?とんでもない! 15 神はモーセにこう言った。 「わたしは、情けをかけたい人に情けをかけ、恵んであげたい人に恵みを注ぐ」——【出エジプト記33:19より引用】 16 神は事前に決めるのだ。誰をあわれむのかを・・・その決断は人間の決める領域ではない。人間がどんな優れたレースを走るかにかかっているわけでもない。ただ、神が決めるのだ。 17 聖書では神がファラオ王にこの様なことを言っている。 「わたしは、この理由をもってお前を王とする。それは、お前を通して私の力を表すということだ。そして、わたしの名をこの地全土に知れ渡たすのだ」 18 これで分かっただろう・・・神は情けをかけたい人に情けをかけ、頑固にしたい人を頑固にする。
19 するとあなた達の頭にはこんな質問がよぎるだろう!「・・・ってことは、あなたが言っていることが全て正しいのであれば、なぜ神は間違いをおかした人たちを責めるのか?神がそう仕向けたなら、誰もそれを否定することができないはずだ」 20 もう一度、自分がしている質問を考えてみなさい!私たち人間ごときが神に口答えするのか。粘土の壺がそれを造った職人に「なぜこんな形に私を作ったのだ?」と質問するわけがない!創られた者が創った者にケチをつける権利はないのだ。 21 陶器職人が創造力を働かせて作りたいように造るのが普通だろう。同じ粘土を使おうとも違った形も造る。特別な用途のために造るときもあれば、普段の生活に必要な食器を造ることもあるだろう。
22 こうして神だって同じことをするのだ。神の力を見せつけるために怒ることだってある。しかし、たとえ怒らせた人に対しても、神は忍耐を持って接するのだ。それはたとえ殺されたとしても当然だと思えるような人に対してもだ・・・ 23 神は忍耐と共に待ち続けた。そうすることで、恵みを受けるべき選ばれた人々が、彼の栄光の豊かさを理解することが出来るからだ。神は彼らに分かちあう分だけの栄光をすでに用意してくれている。 24 神はユダヤ人からだけでなく外国人からも人々を選び抜く。そう!私たちはその選ばれた国民だ! 25 神は聖書のホセア書でこう言っている。
「わたしの子でない人を見て言おう。
お前たちはわたしの子だ。
わたしから離れていた人に言おう。
わたしはお前たちを愛している」——【ホセア書2:23より引用】
26 「そして、『お前たちはわたしの国民、わたしの人々ではない!』と神が言ったその場所で、
彼らは、生きている神の子供たちであると呼ばれるだろう」——【ホセア書1:10より引用】
27 また、預言者イザヤが神の国民についてこう叫んだ。
「あぁ~、イスラエル人よ~
海辺の砂のように数は多いのに、
救われるのはほんの一握り。
28 そう!王である神は言ったことを、
この地上ですみやかに実行に移すのだ!」——【イザヤ書10:22-23より引用】
29 預言者イザヤが言ったとおりだ。
「万能の神の情けで、何人かのユダヤ人が守られなければ、
無法都市ソドムやゴモラの住人のごとく全滅していた」——【イザヤ書1:9より引用】
30 さて、これはどういうことだ?外国人は努力もせず、神を求めてさえいなかったというのに、神を信じた外国人に神の家族に加わるチャンスを与えたということか?そうだ!彼らはそれを認められたのだ。なぜならイエスの忠実さによってだ。 31 ところがユダヤ人たちは、その家族に加わる価値があることを示すために神の掟を一生懸命守る努力をした。それなのに彼らは失敗に終わった。 32 そう!その通りだ!彼らが失敗した理由は、それを自分たちで勝ち取ろうとしたことにある。神からの承認を勝ち取ろうと・・・掟で言われていることを守り、全てのことを行ったのだ。神を信じるという信仰の代わりに・・・彼らは神を信じるという、つまずきの石につまずいたということだ。
33 聖書でこの石についてこう記されている。
10 教会のみんな!私の一番の願いは、ユダヤ人全員が救われることだ。これこそ私が常々祈っていること。 2 彼らは本当に頑張って、頑張って神に従おうと努力している。しかし私の経験からすれば、彼らはただ、正しい道を分かっていないのだ! 3 神に認められる道が分からなかったので、自分の道を突き進んだ。そのせいで神が用意した道を認めることができなかったのだ。 4 そう!彼らの中で掟の目的がキリストであることに理解がなかったのだ。今やユダヤ人であれ外国人であれ、キリストを信じる者なら誰でも神に受け入れられる。
5 モーセが掟についてこう記した。 「もし、人が非の打ちどころなく善良であり、一生涯、誘惑にも負けず、ただの一度も過ちを犯さずにいられるなら、はじめて救われる」——【レビ記18:5より引用】 6 しかし、これは聖書が信仰を通して神に受け入れられることについて言っている。 「こんなことは、言ってはならない!『誰が天国に上がって行けるのだろうか?』」(これは誰が天に昇り、キリストを連れてこの地上に下りてくるのかという意味) 7 「また、こんなことも言ってはいけない!『誰が地の深くまで下るのか』」(これは、誰がキリストを死から連れて上がるのかという意味)
8 「神の最高な知らせは、手の届くところにある。それは口先と心の中だ」——【申命記30:12-14より引用】 これが私たちの広めている最高な知らせだ。信じきることで救われる道だ! 9 もし、自分の口で——「イエスは神に選ばれた王だ」——と宣言し、「神がイエスを死から復活させた」と心から信じるならば、救われるのだ! 10 そう!心の底からイエスを信じることで神が私たちを自由にしてくれる。そしてその確信を公に宣言すれば、神が救ってくれるのだ。
11 聖書ではこう書いてある。 「誰でもイエスを信じる者は、決して失望させられることはない」——【イザヤ書28:16より引用】 12 誰でもと記されているのは、ユダヤ人も外国人も分け隔てがないという意味だ。王は全人類の王なのだ。そして、助けを求める者なら誰でも、溢れるほどの祝福をくれるのだ! 13 「王である神の名を呼び求める者は、だれでも救われる」——【ヨエル書2:32より引用】 と聖書では言っている。
14 しかし、神を信じていないのにどうやって「助けてくれ~!」と王である神を求める事ができるのか?また、神のことを一度も聞いたことがないのにどうやって、神を信じることができるのか?誰も神のことを伝えていなければ、どうやって神について聞けるのだろうか? 15 誰も遣わされていないのに、どうやって伝えに行くことが出来るのだろうか?
そう!聖書ではこう言っている。 「おぉ~なんて素晴らしい光景なのか~!神の最高な知らせを伝えようと駆け回っている人の姿は・・・私はその姿を歓迎する」——【イザヤ書52:7より引用】
16 しかし、おかしなことに、誰もがその最高な知らせを受け入れたわけではない。だから、預言者イザヤはこう言った。 「王である神よ!私たちが伝えたことを誰が信じたというのですか?」——【イザヤ書53:1より引用】 17 信仰は最高な知らせを聞くことからスタートする。誰かがキリストを伝えて初めて最高な知らせを耳にできるのだ。
18 つまり、ユダヤ人はこれを聞いていなかったというのか?いや、もちろん聞いていた。聖書ではこう言っている。
「知らせは、全世界に広がった。
その知らせは、地の果てまで行き渡った」——【詩篇19:4より引用】
19 ってことは、イスラエルの人々はそれを理解できなかったということなのか?そうだな~!その答えは以前、神がモーセを通して語った時のことばに戻れば分かるだろう。
「わたしは、お前たちに嫉妬心を抱かせるために、
本当のわたしの国民ではない国民を使うのだ。
何も知らない無知の国民たちを使うことで、
お前たちを怒らせる!」——【申命記32:21より引用】
20 そしてその後、預言者イザヤも大胆にこの様に言っている。
「私を捜してもいなかった人が、私を見つけた。
私を求めていなかった人に、私は現れた」——【イザヤ書65:1より引用】
21 一方、ユダヤ人についてはこう言った。
「一日中立ちつくし、私の国民に手を差し伸べているが、
頑固な国民は、従うことを拒んだ」——【イザヤ書65:2より引用】
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