Revised Common Lectionary (Semicontinuous)
律法を朗読するエズラ
8 1-5 さて、第七の月の中旬になると、民はこぞって水の門の前の広場に集まって来ました。そして指導者エズラに、その昔、神がモーセに与えた律法を読んで聞かせてほしい、と願い出たのです。エズラはモーセの律法の巻物を取り寄せ、朗読する姿が誰からも見えるよう、特製の木の台に立ちました。そして、朝から昼まで朗読して聞かせたのです。巻物を開くと、人々はいっせいに立ち上がり、理解できる者は熱心に耳を傾けました。エズラの右側には、マティテヤ、シェマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤ、マアセヤが並び、左には、ペダヤ、ミシャエル、マルキヤ、ハシュム、ハシュバダナ、ゼカリヤ、メシュラムが並びました。
律法を朗読するエズラ
8 1-5 さて、第七の月の中旬になると、民はこぞって水の門の前の広場に集まって来ました。そして指導者エズラに、その昔、神がモーセに与えた律法を読んで聞かせてほしい、と願い出たのです。エズラはモーセの律法の巻物を取り寄せ、朗読する姿が誰からも見えるよう、特製の木の台に立ちました。そして、朝から昼まで朗読して聞かせたのです。巻物を開くと、人々はいっせいに立ち上がり、理解できる者は熱心に耳を傾けました。エズラの右側には、マティテヤ、シェマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤ、マアセヤが並び、左には、ペダヤ、ミシャエル、マルキヤ、ハシュム、ハシュバダナ、ゼカリヤ、メシュラムが並びました。
6 エズラが、偉大なる神である主をほめたたえると、民はみな手を上げ、「アーメン、アーメン」とこたえてひざまずき、地面にひれ伏して、主を礼拝しました。
7-8 エズラが巻物を読み上げると、レビ人のヨシュア、バニ、シェレベヤ、ヤミン、アクブ、シャベタイ、ホディヤ、マアセヤ、ケリタ、アザルヤ、エホザバデ、ハナン、ペラヤなどが人々の中に入って行き、その箇所の意味を説明しました。
9 律法がどのように命じているかを理解すると、人々はみな泣きだしました。それで、エズラをはじめ、総督の私や補佐役のレビ人たちは、こう言い聞かせました。「このような日に泣いてはならない。きょうは神である主の聖なる日ではないか。 10 ごちそうを食べてお祝いし、貧しい人には施しをする日なのだ。神である主を喜ぶことこそ、あなたがたの力なのだ。しょんぼりと悲しそうにしていてはいけない。」
19 天は、神の栄光を物語る、神の手による傑作です。
2 天は、昼となく夜となく、神について語り続けます。
3-4 大空は、音もことばもなく静まり返っているのに、
大空が語っていることは全世界に知られます。
太陽は天の神の定めた場所に住んでいます。
5 太陽はその場所から出て、
結婚式の花婿のように晴れ晴れと、
また、競技を前にした選手のように、
意気揚々と大空を闊歩します。
6 天の端から端まで行き巡り、
その熱を免れるものは何一つありません。
7-8 主のおきては完全で、私たちを守り、
賢くし、喜びと光を与えます。
9 主のおきては純粋で正しく、変わることがありません。
10 また、金よりも慕わしく、
みつばちの巣からしたたるみつよりも甘いのです。
11 主のおきては、危険に近づかないように警告し、
従う者には祝福を約束します。
12 しかし人は、心にひそむ罪を
どうして知ることができましょう。
どうか、隠れた罪からきよめてください。
13 故意に悪に走ることからも引き止め、守ってください。
そうすれば、私は過ちを犯さず、
大きな罪からも逃れることができます。
14 私の口のことばと、秘めた思いが、
神に喜ばれますように。
ああ、私の岩、私の救い主、主よ。
12 人体には多くの部分がありますが、その各部分が結び合わされて、一つの体が成り立っています。キリストの体についても同じことが言えます。 13 私たちはそれぞれ、キリストの体の一部です。ある者はユダヤ人、ある者は外国人、ある者は奴隷、ある者は自由人です。しかし聖霊は、私たちをみな結び合わせて、一体としてくださいました。私たちは、ただひとりの聖霊によって、キリストの体に結び合わされるバプテスマ(洗礼)を受け、みな同じ神の霊を与えられているのです。 14 確かに、体はただ一つの部分からではなく、多くの部分から成り立っています。 15 たとえ足が、「私は手ではないから、体の一部ではない」と言いはったところで、体の一部でなくなるわけではありません。 16 また、もし耳が、「私は耳で、目ではないから、体の一部ではない」などと言っても、耳が体から離れることができますか。 17 考えてもごらんなさい。もし体全体が目であれば、聞くことができるでしょうか。もし体全体が巨大な一つの耳なら、においをかげるでしょうか。 18 神様は、私たちの体をそのように造られたのではありません。体を形成するために多くの部分を造り、配置されました。 19 もし単一の器官でできていたら、体はどんなものになっていたでしょう。 20 ですから、神様は多くの器官を造られましたが、体は一つなのです。 21 目が手に、「私には、あなたなんか必要じゃない」などとは決して言えません。また、頭が足に、「あなたなんかいらない」とも言えません。 22 それどころか、弱く、不要と思われている部分が、実は最も必要なものです。 23 また私たちは、重要でないと思える部分を特に喜ぶのです。そして、人目にさらすべきでない部分は、人に見られないよう注意深く守ります。 24 一方、見られてもよい部分は、特別な注意を要しません。そのように神様は、あまり重要視されない部分が特別に重んじられ、注意深く扱われるように、体を組み立ててくださったのです。 25 それは各部分が生かされ、互いにいたわり合うためです。 26 もし一つの部分が苦しむなら、すべての部分が共に苦しみます。そして、一つの部分が重んじられれば、すべての部分が喜ぶのです。
27 私は次のことを言いたいのです。すなわち、あなたがたは共に、キリストという一つの体であり、一人一人がなくてはならない部分であるということです。 28 キリストは、ご自分の体である教会を形成する個々の部分として、人々を次のように任命されました。使徒、預言者、教師、奇跡を行う者、病気をいやす力のある者、人々を援助する者、人々の働きを管理する者、異言で話す者。 29 みなが使徒でしょうか。みなが説教者でしょうか。みなが教師でしょうか。もちろん違います。みなが奇跡を行うでしょうか。 30 みなが病気をいやせるでしょうか。神様は全員に、異言で話す能力を与えておられるでしょうか。またそれを、みなが理解し、解き明かすことができるでしょうか。もちろん、そんなことはできません。 31 あなたがたは、これらの賜物よりもっと大切なものを、熱心に求めなさい。
私は、これらの賜物よりもすぐれたものについて教えましょう。
イエス、活動を始める
14 イエスが聖霊の力に満たされてガリラヤに戻られると、まもなくその地方一帯にイエスの評判が広まりました。 15 あちこちの会堂で教えを語るイエスは、人々の賞賛の的でした。
16 それからイエスは、少年時代を過ごしたナザレに帰り、いつものように土曜日(安息日)に会堂へ行かれました。聖書を朗読しようと席を立つと、 17 預言者イザヤの書が手渡されたので、次の箇所をお開きになりました。
18-19 「わたしの上に主の御霊がとどまっておられる。
主は、貧しい人たちに
この福音(神の救いの知らせ)を伝えるために、
わたしを任命された。
主はわたしを遣わして、
捕虜には解放を、
盲人には視力の回復をお告げになる。
踏みにじられている人を自由にし、
主の恵みの年をお告げになる。」(イザヤ61・1―2)
20 イエスは朗読を終えると、聖書を閉じ、係の者に返して、腰をおろされました。みんなの目はいっせいにイエスに注がれました。 21 それにこたえるように、イエスはこう言われました。「この聖書のことばは、今日、実現したのです。」
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