Revised Common Lectionary (Semicontinuous)
6 ダビデ王も、人が頑張らなくても神に祝福されることについてこう書いている。
7 「♪なんという祝福だ!
過ちからきれいさっぱり
赦された人、
8 なんという祝福だ!
王である神に過ちの記録を帳消しされた人は」——【詩篇32:1-2より引用】
9 ということは、この祝福は掟を守っている人、すなわち割礼を受けた者のみが与えられる特権なのだろうか?それとも、掟を守らない人々にも与えられるのだろうか?何度も繰り返しにはなるが、「アブラハムは神を信じたその信仰により、正しいものであると認められた」と書いてある。 10 では、この認証はいつ行われたのか?アブラハムが 割礼 を行う前なのか、それとも後なのか?そう!神がアブラハムを認めたのは、割礼を受ける前のことだった。 11 アブラハムが神に認められたのは割礼を受ける前であり、後になってはじめて、神に認められたしるしとして割礼を受けたのだ。だからこそ、アブラハムは掟に従う人たちの父ではなく、神を信じている人たちの父なのだ。つまり、私たちもアブラハム同様、神への信仰によって正しいものであると認められるのだ! 12 そして、アブラハムはこの様に割礼を受けた者たちの父でもある。ただし!彼らがただ割礼を受けたからアブラハムを父と呼ぶのではなく、彼らもまたアブラハムと同様、割礼を受ける前に神を信じ、信仰を持ったからこそアブラハムを父と呼んでいるのだ。
神を信じる信仰により、神の約束を手にする
13 神は、信仰の父・アブラハムと彼の子孫たちに全世界を与えるという約束をした。しかし、神はなぜそんな約束をしたのか、分かるか?アブラハムが神の掟に従ったからではない!それは、ただ神を信頼し、神に信仰を置くことによって、アブラハムを正しい者として神は受け入れたのだ。
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