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Revised Common Lectionary (Semicontinuous)

Daily Bible readings that follow the church liturgical year, with sequential stories told across multiple weeks.
Duration: 1245 days
Japanese Living Bible (JLB)
Version
詩篇 30

30 私は主をほめたたえます。
神は私を敵の手から助け出し、
敵が勝ち誇るのをお許しにならなかったからです。
ああ主よ。主は私の願いを聞き入れて、
元の健康な体に戻してくださいました。
墓の入口から、連れ戻してくださいました。
おかげで、こうして生きることができます。

主を信じる人よ。主を賛美し、
主のきよい御名に感謝しなさい。
主の怒りはつかの間ですが、
その恵みは生きる限り続きます。
たとえ、夜通し泣き明かすことがあっても、
朝には喜びが訪れます。
6-7 順境の日に、私は言いました。
「いつまでも今のままだ。
だれも私のじゃまはできない。
主が恵んでくださって、
私をびくともしない山のようにしてくださった。」
ところが、神は顔をそむけて、
祝福の川をからしたのです。
たちまち私は意気消沈し、恐怖におびえました。
ああ主よ。私は大声でお願いしました。
「主よ、私を殺したって、一文の得にもなりません。
生きていてこそ、友人の前で
あなたをたたえることができるのです。
墓に埋められたら、どうしてあなたの真実を
世間に知らせることができましょう。
10 ああ主よ、どうか私をあわれみ、助けてください。」
11 すると、神は嘆きを喜びに変え、喪服を脱がせて、
きらびやかな晴れ着を着せてくださいました。
12 墓に埋められることなく、
神に喜ばしい賛美の歌声を上げるためです。
ああ神、主よ。
私はいつまでもこの感謝の気持ちを忘れません。

レビ記 13:1-17

ツァラアトによる汚れときよめ

13 1-2 主はモーセとアロンに命じました。「皮膚に腫れもの、かさぶた、できもの、吹き出物が出て皮膚が透明状になったときは、ツァラアト(皮膚が冒され、汚れているとされた当時の疾患)の疑いがある。祭司アロンか、その息子のところに患者を連れて行き、 患部を見てもらいなさい。患部の毛が白くなり、患部が皮膚の下まで及んでいるようなら、ツァラアトである。祭司はツァラアトだと宣告しなければならない。

ただし、白い患部が皮膚の下までは及んでいないようで、毛も白く変わっていないなら、患者を七日の間、隔離する。 七日目に祭司が患部を調べる。患部がそのまま広がっていないなら、さらに七日の間、隔離する。 七日目にまた調べ、患部がよくなり、広がっていないなら、「きよい」と宣言する。ただの発疹にすぎなかったのだから、患者は衣服を洗うだけで、元どおりの生活に戻れる。 もし、調べてもらったあとで患部が広がったら、もう一度、祭司のところに行かなければならない。 調べた結果、患部が広がっているなら、祭司は彼を「汚れている」と宣告する。これはツァラアトである。

9-10 ツァラアトの疑いのある患者は、必ず祭司のところに連れて来る。祭司は皮膚に白い腫れものがあるか、患部の毛は白いか、腫れものがひどくただれているかなどを調べる。 11 そのような症状がはっきり見えたら、慢性のツァラアトである。祭司は患者に「汚れている」と宣言しなければならない。その人は明らかに汚れているので、検査を続けるために隔離される必要はない。 12 ツァラアトが足の先から頭の先まで全身に広がっているのがわかったら、 13 祭司はその人に、「きよい」と宣言する。全身が白くなっているので治ったのである。 14-15 ただし、一箇所でもただれたままの赤肌が残っているなら、「汚れている」と宣告される。 16-17 それがあとで白く変わったら、祭司に見てもらう。患部が完全に白く変わっていたら、祭司は「きよい」と宣言する。

へブル人への手紙 12:7-13

進んで神の訓練を受けなさい。神は、父親として当然のことを、子どものあなたがたにしておられるのです。父親から一度も懲らしめを受けたことのない子どもが、どこにいるでしょうか。 神は、ほんとうの子どもだからこそ懲らしめるのです。もしそうでなければ、あなたがたは神の家族でないことになります。 この世では父親が子どもを罰しても、子どもから尊敬されなくなるようなことはありません。だとしたら、私たちは真に生きることを学ぶために、喜んで神の訓練を受けるべきではないでしょうか。 10 肉親の父親は、ほんの短い間だけ、それも、限られた知識に基づいて私たちを訓練します。ところが神は、私たちの最善を願って、神のきよさを共有させようと訓練をしてくださるのです。 11 罰を受けた当初はだれも気持ちがよいはずはなく、むしろ傷つけられたと感じるものです。しかしあとになれば、それが自分の益となり、すべての面で良かったことがわかります。

12 ですから、しっかり立ち上がりなさい。 13 そして、まっすぐな道を切り開きなさい。そうすれば、たとえ弱くて足が不自由でも、倒れたり、けがをしたりせず、かえって丈夫になるでしょう。

Japanese Living Bible (JLB)

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