Read the New Testament in 24 Weeks
正しい生活をしなさい
13 上に立つ権威に従いなさい。神がお立てになった権威だからです。神によらない権威はどこにもありません。 2 ですから、国の法律に従わない者は、神に従うことを拒んでいるのです。その人は必ず罰せられます。 3 正しいことをしている人は支配者を恐れません。しかし、悪いことをしている人は、いつも支配者を恐れるのです。ですから、びくびくしたくなければ正しいことを行いなさい。そうすれば安心して過ごせます。 4 支配者は、あなたを助けるために、神から遣わされているのです。しかし、何か悪いことをしていれば、支配者はあなたを罰するでしょうから、当然、恐れなければなりません。そのためにこそ、彼は神から遣わされているのです。 5 法に従う理由は二つあります。第一に、罰を受けないためであり、第二に、良心がそれを守るべきだとわかっているからです。 6 同じ理由で、税金も納めなさい。公務につく人々が国民のために、神から与えられた仕事を続けるには、給料が必要だからです。 7 支払うべきものは、だれにでも支払いなさい。納税の義務をすすんで果たし、上に立つ人々に従い、敬うべき人を敬い、重んじるべき人を重んじなさい。
8 借りがあれば、全部返しなさい。ただし、互いに愛し合うことだけは別です。というのは、人を愛することは、神のすべての律法、すべての要求にかなうことだからです。 9 自分を愛するように隣人を愛していれば、その人を傷つけたり、だましたり、殺したり、その人のものを盗んだりしたいとは思わないでしょう。またその人の妻と罪を犯すとか、その人のものを欲しがるといった、「十戒」で禁じられていることは何一つしないでしょう。このように、「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒めは、「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」という一つの戒めに含まれるのです。 10 愛はだれにも悪を行いません。だからこそ、愛は神の要求をすべて完全に満たすのです。愛こそ、あなたがたに必要なただ一つのおきてです。
11 正しい生活をしなければならない、もう一つの理由があります。それは、今や終末に近づいており、時はどんどん過ぎているからです。目を覚ましなさい。初めに信じたころより、今はいっそう主の来られる時が近いのです。 12-13 夜はふけ、昼がすぐそこまで近づいています。ですから、暗闇に属する悪い行いを捨てて、昼間にふさわしく生きるため、正しい生活という武具で身を固めなさい。あなたがたの行為は正しいとだれからも認められるよう、何をするにも、りっぱに、誠実にふるまいなさい。遊び騒いだり、酔っぱらったり、性的な欲望のとりこになったり、争ったり、ねたんだりして時間を浪費してはなりません。 14 当然なすべき正しい生活ができるように、主イエス・キリストに助けを求めなさい。悪を楽しむような計画を立ててはいけません。
批判し合ってはいけない
14 あなたがたの仲間に加わりたいという人がいたら、たとえ信仰の弱い人であっても、心を開いて迎え入れなさい。考えが違うからといって批判してはいけません。 2 偶像に供えられた肉を食べてもよいかどうかで議論してはいけません。あなたがたは、偶像に供えられた肉を食べても別に悪くはないと信じているかもしれません。しかし、ほかの人たちの信仰はもっと弱いのです。彼らは、偶像に供えられた肉を食べるのは悪いとして肉を食べず、むしろ野菜を食べるほうがよいと思っています。 3 肉を食べてもよいと思っている人は、食べない人を見下してはいけません。また、食べない人も食べる人を非難してはいけません。神はそのどちらをも受け入れて、ご自分の子どもとしてくださったからです。 4 どちらも神に仕えているのであって、人に仕えているわけではありません。神に対して責任を負うのであって、人に対して責任を負うのではありません。正しいか、まちがっているかは、神がその人に教えてくださるはずです。 5 ある人は、神を礼拝する特別な日として、クリスチャンもユダヤ教の祝祭日を守るべきだと考えています。しかし、他の人は、どの日もみな同様に神の日なのだから、いちいちそんな面倒なことをするのはまちがっている、と言います。こうした問題については、一人一人が自分で判断しなければなりません。 6 もし、主を礼拝するために特別な日を守っているなら、主をあがめようとしてすることなので、良いことなのです。偶像に供えた肉を食べる人についても、同じことが言えます。彼はその肉のことで主に感謝しているのですから、正しいのです。そんな肉には触れようともしない人もまた、主に喜んでいただこうと願うからそうするのであって、感謝しているのです。
7 私たちは、自分のために存在しているのではなく、主のために存在しているのです。 8 私たちは主のものであり、生きるにしても死ぬにしても主に従うのです。 9 キリストが死んで復活したのは、私たちが生きている時も死んでいる時も、キリストが私たちの主となられることでした。
10 あなたがたには、自分の兄弟(信仰を同じくする人)を批判したり、見下したりする資格はありません。だれもが神のさばきの座の前に立つことを、忘れてはなりません。 11 次のように書いてあるとおりです。
「主は言われる。わたしは生きている。
すべてのひざは、わたしの前にかがめられ、
すべての舌は、神に告白する。」(イザヤ45・23)
12 このように、一人一人が、神の前に申し開きをすることになります。
13 ですから、これからはもう批判し合うことのないようにしましょう。むしろ、人をつまずかせないようにすることを心がけましょう。兄弟が「悪いことだ」と信じていることを目の前で行って、彼をつまずかせてはいけません。 14 私が主イエスの権威に基づいて確信しているのは、それ自体汚れているものは何一つないということです。ですから、偶像に供えた肉を食べることは悪くありません。しかし、それを悪いと信じている人がいるなら、悪いことは避けるべきですから、その人は食べてはいけません。 15 兄弟があなたの食べる物のことで心を痛めているのに、平気でいるとしたら、愛によって行動しているとは言えません。あなたの食べる物のことで人を滅ぼしてはなりません。その人のためにも、キリストは死なれたのです。 16 たとえ自分の行為は正しいとわかっていても、人の批判の的になるようなことをしてはなりません。 17 私たちクリスチャンにとって大切なのは、何を食べるか、何を飲むかではなく、義と平安と聖霊から来る喜びとに満ちあふれているかどうかだからです。 18 このようにキリストに仕えてこそ、神に喜ばれ、また、人々にも喜ばれるのです。
19 こうして、教会においては平和をはかり、互いに助け合って成長するように努めましょう。 20 食べ物の問題で、神の働きを台なしにしてはなりません。肉そのものは悪くなくても、それが他人のつまずきとなるなら、肉を食べるのはよくないということを忘れないでください。 21 肉だけに限りません。飲酒でも、そのほか何でも、兄弟のつまずきになるようなことをしないのは正しい行いです。
22 自分のしていることが神の目から見て潔白だと思っていても、その確信は心にしまっておきなさい。正しいと思うことをして、それが罪を犯すことにならない人こそ幸せです。 23 しかし、「自分がしようとしていることは悪いことだ」と思いつつしている人は、してはなりません。悪いと思うことをするのは、すべて罪です。
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