M’Cheyne Bible Reading Plan
これを見ろ!神の子かどうかは一目瞭然
3 目に入れても痛くないほどに、お父さんは私たちのことを愛してくれている。私たちは神の子としてただ呼ばれただけでなく、実際に本当の子供として扱ってくれている。しかし、世の中の人は私たちが神の子だとは思っていない。なぜなら、人々は神の存在を知らないからだ。 2 愛する友よ!私たちはすでに神の子だ!私たちは将来、どのような姿になるのかは知らないが、救い主が戻ってきた時、私たちが救い主のような姿になるのは知っている!イエスの本来の姿を目の当たりにするんだ! 3 そのイエスの姿とは、潔白、純粋そのものだ!そして、そのことを信じる者は誰であれ潔白であり、純粋であり続ける。
4 過ちを犯せば、神の掟を破る。そうだ!過ちを犯す生活習慣は神の掟に反しているということだ。 5 救い主が人間となって来てくれたのは、私たちの犯した過ちを取り除くためであったことをあなた達はよく知っている。そして救い主自身は何の過ちも犯していない。 6 だから、救い主に従って生きるのなら、過ちを犯し続けることはないのだ。そして、もし過ちを犯し続けるなら、その人は救い主を本当の意味で理解できていない上、個人的な関係を築いていないということになる。
7 愛する子供たちよ!曲がった真理をうっかりと信じることがないように!そんな教えについて行ってはいけない!救い主はいつだって正しいことを行った。だから、いつも救い主を模範にし、正しいことを行うのだ。 8 しかし、悪魔は最初からずっと過ちを犯し続けてきた。そう!誰でも過ちをし続ける者は、悪魔と手を組んでいるということなのだ。しかし、この悪魔の働きに終止符を打つために、神のひとり子はこの世にやって来たのだ!
9 神の子であれば過ちを繰り返し行うことはない。なぜなら、その人の中に神が送った新しいいのちが宿っているからだ。そう!もう過ちを犯し続けることができないのだ。それはその人が神の子供になったからだ。 10 だからこそ、神の子たちは誰なのか、悪魔の子たちは誰なのか、そう言ったことはその人を見れば一目瞭然だという訳だ。神の子ではない人々というのは、正しいことをやらず、教会の兄弟、姉妹を愛さず、傷つける人たちのことだ。
神の子は救い主の新たな戒めを守る
11 「互いに愛し合いなさい」これは初めから教わってきたことだろう。 12 カインの様にはなるな!カインは悪魔に属したがゆえに、自分の弟を殺してしまった——【創世記を参照。初めの人間アダムとエバの子供、カインが弟アベルを殺すという人類初の殺人事件】
なぜ弟を殺すはめになったのか?それは、弟アベルは正しい行いをし、兄カインは自己中心的な行いをしたからだ。
13 だから、兄弟、姉妹たちよ!この世の人間に嫌われたからといって驚くんじゃない。 14 私たちは知っている。私たちは死の力から解放され、いのちの力に加わったということだ。私たちは、教会のみんな一人一人を愛しているから、このことを知っている。誰でも他の人を愛さない人は、ずっと霊的な死の力に囚われているのだ。 15 誰でもイエスを信じる仲間たちと交流を深めることを嫌う者は、霊的な殺人者だ。そして、そのような殺人者は永遠のいのちを得ることはできない。
16 イエスが私たちの為に命を捧げたことで、私たちは初めて真の愛を知ることができた。だから、私たちも兄弟、姉妹のために人生を捧げ、死んでも愛そうではないか。 17 もし、生きる上で必要なものを全て持っている神を信じる者が、必要を抱えている人を見ても、何の手助けもしないのなら、その人の中には神の愛がないということがわかる。 18 私の子よ!私たちの愛は、口先だけではなく、本物でなければならない。そうだ、行動で示さない愛に価値などない! 19-20 行動に出て、初めて神の真理に従っていることが分かる。そして、良心に恥じず、神の前に立てるのだ。もし悪いことをしたと、罪悪感を感じたとしても、安心するんだ。何でも知っている神の「心」は計り知れないほど広い。
21 愛する友よ!良心に恥じない生き方をしているなら、神が再び戻ってくる時、胸を張って神のもとへ行ける。 22 そして、私たちが神の心に従うからこそ、求めるものは何でも神から与えられるのだ。 23 神が私たちに願っていることは、ひとり子であるイエス・キリストを信じ、彼の教えどおりに人々と愛し合う事なのだ。 24 この教えに喜んで従う人は、神の中に住み、また神もその人の内に住んでくれる。どうして神が内に住んでくれていると分かるかって?神が与えてくれた聖霊が確信を与えてくれるからだ!
神は自分の人々に答える
18 イエスは弟子たちに、いつでも祈るべきであり、決して希望を失わないようにと教えた。イエスは彼らにこれらを教えるためにこの話を使った。 2 「町にある裁判官がいた。その裁判官は神のことなど何も気にせず、また人が彼をどう思っているかなど気にしない人だった。 3 その同じ町に、夫を亡くしてしまった女性がいた。彼女は何度も、この裁判官のところへ押しかけてはこう言った。『私に悪いことをする男がいるの。私のために正しいことをしてちょうだい!』 4 初め、裁判官は彼女を助けたくなかった。しかし、しばらくて、彼はこう考えた・・・『神なんかどうでもいいし、人がどう思おうがどうでもいい。 5 でも、あの女はしつこい!女の権利を守れば、もう俺を放っておいてくれるだろう・・・でも、もし女を助けなかったら、あの女は俺のところに来て、襲いかかってくるかもしれない・・・』」
6 王であるイエスはこう続けた。「悪い裁判官が言ったことから、学べることがある。 7 神の国民が昼も夜も神に叫び求めれば、神は毎回正しいことを彼らに与えてくれるだろう。神は答えをしぶったりはしない。 8 神は自分の国民を素早く助けてくれる。しかし、人の子がもう一度やって来るとき、彼は未だ彼を信じている人々をこの地で見つけることが出来るだろうか・・・?」
パリサイ派と税金取り
9 自分はすごくできる人間だと思い、他のみんなを見下すような人たちがいた。イエスはこの話を使って彼らに教えた。 10 「ある日、パリサイ派と税金取りが祈るために神殿へと行った。 11 パリサイ派は税金取りと距離を取ったところに立つと、こう言って祈った。『神様、私が他の人よりも悪い者ではないことを、大変、感謝いたします。私は盗みも、騙しもせず、また性的な過ちを犯すような男ではございませぬ。あの税金取りのようではないことに、あぁ~、大変、感謝いたします。 12 私は週に2回、断食をし、所得の1/10を捧げております』
13 税金取りも1人で立っていた。しかし彼が祈った時、彼は天を見上げることすらしなかった。彼は申し訳なさそうに自分の胸を叩いて、こう祈った。『神様、過ちのあるこの俺を許してくれ!』 14 あなた達に伝えよう!いいか!家に帰った時、神から受け入れられたのはパリサイ派ではなく、この税金取りだ。自分を重要人物であるかのように思っている人は謙虚にされる。しかし、自らを謙虚にする人は、重要な人にされるのだ」
子供たちを歓迎するイエス
(マタイ19:13-15; マルコ10:13-16)
15 ある人たちはイエスに手を置いてもらい祝福してもらうために、自分の赤ちゃんでさえも連れて来た。しかし、弟子たちはこれを見て、こんなことはしないようにと人々に伝えた。 16 だがイエスは小さな子供たちを呼んで、弟子たちに言った。「小さな子供たちをわたしのところに来させてあげなさい。彼らを止めるんじゃない。神の王国は、子供のような人たちのものだ! 17 真実は、子供が物事を受け入れるように、お前たちも神の王国を受け入れなければならない。でなければお前たちはそこに入ることはできない」
イエスに従うことを拒否するお金持ち
(マタイ19:16-30; マルコ10:17-31)
18 あるユダヤの宗教指導者はイエスに尋ねた。「良い先生、永遠の命を得るためには、どうすればいいですか?」
19 イエスが彼に言った。「なぜわたしを良い方と呼ぶのですか?神だけが良い方です。 20 そして、あなたは彼の命令を知っています。『結婚した相手以外と性交渉をしない、殺さない、盗まない、他の人について嘘をつかない、父と母を敬う』」
21 だが、ユダヤの指導者は言った。「私は子供のころから、これら全部を守り続けております」
22 イエスはこれを聞いて、ユダヤの指導者に言った。「しかし、まだやらなければならないことが1つある。あなたが持っている全ての物を売って、貧しい人々にお金を与えてください。そうすれば、あなたは天に富を持つだろう。それからわたしについてきなさい」 23 しかし、その男は自分のお金を配るように言われて非常にがっかりした。彼は相当な金持ちだったのだ。そして、それだけはしたくないと思っていたのだ。
24 イエスはその男ががっかりしている姿を見てこう言った。「金持ちが神の王国に入るのは非常に難しい。 25 金持ちが神の王国に入るよりも、ラクダが針の目を通るほうが楽だ」
26 これを聞いた人たちは、こう言った。「それなら一体どんな人なら救われると言うのですか?」
27 イエスは答えた。「神は、人にはできないことができるのだ!」
28 ペテロは言った。「見てくれ、俺たちは全てを置いてあなたについてきた」
29 イエスが言った。「わたしは約束する!誰でも神の王国のために自分の家、妻、兄弟、親、子供を置いてきたのなら、 30 その置いてきたもの以上のものを受けとることになる。彼らはこの人生の中で何倍も受けとるのだ。その上、これから来る世界では永遠のいのちという報酬を受けとるであろう!」
自分の死についてもう一度話すイエス
(マタイ20:17-19; マルコ10:32-34)
31 それからイエスは、12使徒だけに話しをした。彼はこう言った。「よく聞け。これから俺たちはエルサレムに行く。神が人の子について記せと預言者たちに伝えたこと全てが起こるのだ。 32 人の子は外国人たちに引き渡され、彼らの笑い者にされ、侮辱され、つばを吐き付けられる。 33 それからムチで打たれて殺される。だが、死から3日目に彼はもう一度生き返る!」 34 使徒たちはこのことを理解しようとしたが、理解できなかった。その意味は彼らから隠されていたからだ。
盲人を癒す
(マタイ20:29-34; マルコ10:46-52)
35 イエスがエリコの町付近に着いた時、道端には盲人が座りこんでいた。彼は通りがかりの人に、物乞いをしていたのだ。 36 その盲人は人々が道を下ってくるのが聞こえたので、周りの人に尋ねた。「何が起きてるんだ?」
37 「ナザレ村のイエスだよ。ここに向かって歩いて来ているんだ」と彼らは答えた。
38 盲人は興奮して叫んだ!「ダビデの子、イエスよぉー!俺を助けてくれぇー!」
39 グループの先頭に立っていた人たちは、盲人に文句を言い、黙るようにと言った。しかし、盲人の男はさらに大声で叫んだ。「ダビデの子よぉ~~~、俺を助けてくれぇ~!」
40 すると、イエスはその場に立ち止まり、「あの方をわたしのもとに連れて来てくれ!」と言った。彼が近くまで来ると、イエスが彼に聞いた。 41 「君はわたしに何をしてほしいんだ?」
彼は言った。「王よ!俺はまた見えるようになりたい!」
42 イエスは彼に言った。「もう見えるようになったよ!あなたが信じたから、ほら、癒された!」
43 こうして、男は見えるようになった。彼は神に感謝しながら、イエスについて行った。これを見た誰もがこの出来事に対して神を讃えたのだ。
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