Chronological
あいさつ
1 📜使徒パウロからの手紙
私は何かの団体や人の権限によって送られて活動しているのではなく、王であるイエス、そして彼を復活させたお父さんより任命された使徒として活動していることを断言しよう。 2 また、私とともにいる神の家族より挨拶を送る。
ガラテヤ教会のみなさんへ。
3 私はみなさんに挨拶を送る。お父さん、そして私たちの王であるイエス・キリストに見守られ、平安がみなさんのところにある様にと心から祈っている。
4 イエスは、神の計画どおりに私たちの過ちを負って犠牲となり、この世にはびこる悪魔の支配から私たちを救い出してくれた。 5 そんな神がいつまでも称賛の的でありつづけるように!アーメン!
天国へ通じる最高な知らせ
6 あなた達は救い主の恵みによって救われて選ばれたばかりだというのに、私たちが伝えたイエスについて行くための道から早くも外れ、今となっては全く別の話を聞いているというのではないか!あまりの早さに驚きを隠し切れない。 7 救い主についての真理をゆがめ、あなた達を惑わしている人たちがいることは知っている。あなた達が耳にしている知らせは、最高な知らせではなく悪い知らせだ。 8 私たちは唯一の最高な知らせを伝えたではないか。誰であれ、その最高な知らせに関して何かを付け加えようとしようものなら、仮に私たちの誰かであろうと、またそれが天国から来た天使であろうと、神に呪われる。 9 もう一度言おう。誰であれ、あなた達が受け入れた最高な知らせに反することや、何かを付け加えたものを教える人は神に呪われる!
10 厳しいと思うか。あぁ、私は彼らのように甘い言葉やお世辞で人気を得るつもりなど毛頭ない。人気を得たいのなら、救い主の家来にはならん。人にではなく神に認められるために私は生きているのだ。
パウロに与えられた神からの権威
11 兄弟、姉妹たちよ!みなさんに伝えた最高な知らせが人の考えから来たのではないことを理解してもらいたい。 12 誰から教わったわけでもなく、指示されたわけでもない。私はイエス・キリストに示されたことを伝えているのだ。
13 私が以前、ユダヤ教徒であったこと。また、その教えに身を投じていたことは知っているだろう。私は信じる者たちが今までの伝統を崩す反逆者だと思い、容赦なく教会を迫害し、完全に壊滅させることが私の任務であり目的だった。 14 先祖から受け継いだユダヤ教の生き方を守ることに関しては、同世代の中では私ほど真剣に従っていた者はいなかっただろう。
15 しかし、私が生まれる前から神は特別な計画を私のために立ててくれていた。そう!神の恵みによって私は選ばれたのだ。 16 私はユダヤ人以外の者たちに最高な知らせを伝えるために神のひとり子であるイエスに出会い、その心得を教えてもらったのだ。だからこそ、人にアドバイスを求めることもなく、そのまますぐにユダヤ人以外の者たちにこのことを伝えに出かけたのだ。 17 使徒として選ばれる前から既に神殿の都エルサレムで使徒として働いていた人々にアドバイスを求めに行くことはせず、その代わりに、アラビヤに行くとその後は商業都市ダマスコに戻った。
18 3年の時を経って、私はエルサレムに行き、そこでペテロと会った。そして、彼とわずか15日間だがそこで共に過ごしたのだ。 19 ペテロのほかに会った使徒は王であるイエスの兄弟、ヤコブくらいだ。
20 このことについてウソ、偽りがないことを神は知っている。 21 その後、私はシリアとキリキヤに出かけて行った。
22 この時点でユダヤ地方の教会ではまだ、私に会ったことがある者はもちろん、私の顔を知っている者さえいなかった。 23 彼らが私のことを知っていたのは唯一、「その男は私たちを迫害し、私たち痛めつけていた。以前はメチャクチャに破壊していた私たちが信じるこの道を、今ではなんとそのことを人々に伝えている」という噂くらいだった。 24 そこで彼らは巨大な敵を味方にしてくれた神の偉大さに感謝し、讃えていたのだ。
パウロの正当性
2 14年経ち、私はバルナバと一緒にまたテトスを連れてエルサレムに戻った。 2 私がエルサレムを訪れたのは神からの明確な指示があったからだ。ユダヤ人以外の者たちに伝えたその最高な知らせをエルサレムの人々にも説明するためだった。また、私はそこで人々を導いているリーダーたちと思われる人たちにも出会い、私と同じ思いでいるのかを確かめたかったのだ。そうすることで私が今までしてきたことと、今していることが無駄にならずに済むからだ。
3 私と一緒にいたテトスはギリシャ人であり、外国人であったにもかかわらず、彼らリーダーたちはユダヤ人の掟に従うこと、すなわち割礼を行うことを強要してこなかった——【割礼とは、包茎手術のことで男性性器の皮の一部を切り取ること】 4 私たちがこのことを伝えなければいけなかったのは、私たちのグループにいながらも、兄弟のフリをして紛れ込んでいる者たちがいたからだ。彼らはまるでスパイのように教会に忍び込み、イエス・キリストに属することで得られる自由をどうやったら奪えるか私たちを観察しているのだ。そして私たちを奴隷のようにしたいがために、何が正しくて何がそうでないのか無駄に議論をしかけたがる。 5 しかし、外国人であるあなた達に伝えられる最高な知らせの真理が、少しも曲げられることがないようにと、私たちはいっさい彼らの話に耳を貸さなかった。
6 エルサレムにいた重要人物となり得るリーダー候補の人たちは、私の教えにいっさい口出ししてこなかった。ところで、彼らが重要なリーダーであるということが重要なのではない。神の前ではみな同等であるので、このことは重要ポイントではないのだ。 7 そうではなく、彼らは私を認めてくれたこと。それこそが重要なポイントだった。ペテロにユダヤ人へ最高な知らせを伝える使命を任せていた様に、私にはユダヤ人以外の者たちへその最高な知らせを伝える使命があることを彼らは認めてくれたのだ。 8 神はユダヤ人の使徒を務めるために力強い使命をペテロに与え、外国人の使徒を務めるための力強い使命を私に与えたのだ。 9 ヤコブとペテロ、そしてヨハネはそのエルサレムの教会の中で中心的なリーダーたちであるように見えた。そして彼らは私に特別な奉仕の能力が神から与えられていることに気付き、私とバルナバに握手をして、同じ同志として迎え入れてくれたのだ。彼らはユダヤ人に対しての働きをしながら、一方でユダヤ人ではない外国人に対して行っている私たちの働きに対しても容認してくれたのだ。 10 彼らから唯一お願いされたことと言えば、彼らのコミュニティーにいる貧しい人たちの手助けをすることを忘れないようにということだった。しかし、そのことは私の情熱の分野であったので何の問題もない。
ペテロを正す使徒パウロ
11 ところが、ペテロがアンテオケに来た時、私はペテロの行動が間違っていることに気づき、本気で彼に向かって注意した。なぜなら、どこから見ても彼のしていることが間違っていたからだ。 12 何が起きたのかというと・・・ペテロが最初アンテオケに来た時、彼はユダヤ人以外の者たちとの楽しい時間を持ち、食事も一緒に取っていた。しかし、ユダヤ教の人々がヤコブの所からペテロに会いに行った後、ペテロの行動が一変してユダヤ人以外の者たちと距離を取るようになったのだ。そしてユダヤ人以外の者たちと一緒に食事を取らなくなってしまった。エルサレムから来たユダヤ人の人々の意見を恐れたペテロは、自分の教えを拒否されるのではないかと思い、ユダヤ人以外の者たちと付き合うことを止めてしまったのだ。 13 自分でもこの行動が間違っていることを知りながら、ペテロはその考えに同意しているように見せると、その周りにいた他のユダヤ人たちも本心とは異なる行動を仕方なく行ない、ペテロのしたことについていったのだ。しかも!バルナバもこの流れに乗って、その間違ったことを支持するかのような行動を取ったのだ💢!!! 14 彼らは最高な知らせである真理に従わなかったのだ。私がこの光景を目撃した時、みんなが見ている前であることは知りながら、あえてペテロに挑戦的に言ったんだ。
「ペテロ!あなたはユダヤ人だろう!それなのに・・・ユダヤ人として生きていない!むしろユダヤ人以外の者たちの様に生きている!なぜ!何でユダヤ人以外の者たちにユダヤ人の様に生きろと強制しているのか?」
15 「私たちは生まれながらのユダヤ人だ。そう!私たちは過ちをおかしている人たちとしてイメージされている外国人ではないのだ!」——【ユダヤ人以外は神の掟を持っていなかったからこそ、ユダヤ人にそう呼ばれた】
16 「だが、知ってるだろう!掟に従ったからといって誰一人として神に受け入れられる訳ではないということを!私たちが神に受け入れられるのは、イエス・キリストが神に対して忠実だったからこそだ。だから私たちはイエスに信仰を置く。そうすることで私たちがキリストと繋がり、神に受け入れられるのだ。私たちが神に認められるのはキリストの忠実さであり、掟に従った私たちの行動があったからではない!誰も自分の行動によって神に受け入れられる者はいないのだ。そんなの不可能だ!」
17 「だから、私たちとキリストとの関係は掟を守ることではなく、ただ信頼することにある。そして、それが私たちを正しいものとさせてくれるからだ。この方法が私たちユダヤ人を、過ちをおかしているユダヤ人以外の者たちのようにさせていると思うなら、キリストが過ちを起こしている原因だと言いたいのか!?もちろんそんなことはない! 18 掟は私たちユダヤ人とそれ以外の人たちの間に建てられた大きな壁となっていた。今まで必死になって私はその壁を壊してきたというのに、それを再びまた建て上げるなんて間違っている! 19 私の人生は掟によってルールの下敷きになっていた。しかし神のために生きようと救い主と共に十字架にかかり、心を縛っていた掟が死を迎えたのだ。 20 もはや私の中にあった自分の思い、つまり自分自身が死に、今ではキリストが私の中で生きているのだ。今でも私の体はそのままだ。しかし私の心が生きているのは、ただ忠実な神のひとり子が私を愛して私を救うために身を捧げてくれたからなのだ。 21 私は神の無償の恵みである救い主の死をムダにはしない。もしこの私たちが掟を守ることで救われるのだと信じるなら、救い主の死は無駄死にだということになる!」
掟ではなく信仰で救われる
3 ガラテヤ教会よ!気でも狂ったか?私はあなた達が理解しているかと思っていた。なぜイエス・キリストが十字架にかかったのかということだ。私は明確に、あなた達が正しい想像ができるようにしっかりと教えたはずだったが、誰かが魔法でも使ってあなた達を記憶喪失にさせたって言うのか? 2 1つだけ聞こう・・・あなた達はどうやって聖霊を受けとった?掟のルールを守ったからか?そんなわけあるか!神がしてくれたことのおかげではないか!あなた達に信じてもらうため、最高な知らせであるイエスを送ってくれたのではないか! 3 とすると、みんなの頭がおかしくなったとしか思えない。神を信頼する信仰の生活の始まりは、掟を守る努力からではなかった。それなのにどうして、もっと強く完全な者になるために掟に従おうと・・・すなわち割礼のことを気にするのか? 4 あれほど多くの力強い経験をしたみんなが、今ではあっさりと、ポイ捨てだというのか?とても信じられない! 5 あなた達が掟を守ったから神は聖霊を送り、奇跡を起こしたとでも言うのか?そんなわけあるか!!!最高な知らせであるイエスを信じたからこそ、こんなに最高な祝福を神がくれるということじゃないか!
6 アブラハムについても聖書では同じことを言っている。「アブラハムは神を信頼した。神は彼の信仰を受け取り、アブラハムを認めたのだ」——【創世記15:6より引用】 7 分かるだろう!アブラハムの真の子供たちとは信仰を持ち、神を信頼する人たちのことだ。——【血縁上の子孫ではなく、アブラハムの信じた神と同じ神を信じる時、最初に信じた信仰の父アブラハムの子孫になるということ】 8 聖書ではこう言っている。将来、神はユダヤ人以外の者たちも信仰によって正しいものとされる。聖書は実際にこのことが起きる前にアブラハムへこの良いニュースを伝えているのだ。神はアブラハムにこう言った。「あなたを通して全ての国に祝福が行き渡る」——【創世記12:3より引用】 9 こういうわけで、神を信じたアブラハムと共に神に信仰を置いた者は全て祝福されるのだ。
10 しかし、反対に掟の命令に従うことが土台となり、それに希望を持っている人であれば、そういう人はいつも呪いからくる恐れの下で生きなければならない。聖書には、「掟の書に書かれている全てを守り、それを行わない人は呪いの下で生きている」——【申命記27:26より引用】とはっきり書いてあるからだ。 11 掟は誰一人として神の前で正しいものとはされない。これは明確に聖書に書かれている。「信仰によって神に正しいものとされた人は生きる」——【ハバクク書2:4より引用】
12 掟は信仰とは全く違うものを必要とされる。掟では、「掟を守り、行う人々は、掟によって生きる」 13 ところが、私たちが自分の過ちのゆえに受けなければならなかった掟の上にある呪いを救い主が私たちを救い、自由にしてくれることで、代わりにその呪いを受けてくれたのだ。聖書ではこう言っている。「誰でも木にかけられる者は、呪いの下で生きる」——【申命記21:22-23より引用】 イエスは十字架にかかってくれたのだ。 14 救い主・イエスがこのことを全うしてくれたおかげで、神がアブラハムに約束した祝福はユダヤ人以外の者たちにも同じように与えられたのだ。私たちが救い主を信じることで、約束された聖霊を受けとれるようにと救い主は死んでくれたのだ。
アブラハムと救い主
15 兄弟、姉妹のみなさん!少し、日々の生活の中で起こるたとえ話を使って説明させてくれ・・・人間同士の同意書、または遺書などのことについて考えてみてほしい。一人の人がその同意書を正式に決めたら、その後、誰であってもそれをキャンセルしたり、そこに何かを書き加えることなどできないはずだ。 16 神はアブラハムとアブラハムの家系に対して約束を交わした。聖書では、「あなたの家系たちに」とは言わず、「あなたの家系に」と言っている。どういう意味かと言えば、神は1つの家族のみに約束をしているということだ。そして「1つの家族」とはキリストの中にある人々のことだ。 17 これが私の言いたいことだ・・・要するに、神がアブラハムとした契約は掟がつくられる相当前の段階で結ばれたということだ。つまり、神とアブラハムが契約を交わした430年後に掟がつくられたということだ。後から来た掟が契約を無効にし、神の約束を変えることなどできないのだ。
18 神が持っている人々への祝福は、掟を通しては与えられない。掟によって祝福されるのであれば、神が私たちに送ってくれた約束の意味がなくなる。そうではなく、神はその祝福を、アブラハムと交わした破れない約束として私たちに送ってくれるのだ。
19 では、そもそも掟は何のために存在するのか?掟の目的は人に過ちを知らしめるために与えられたのだ。そして、人々が自身の過ちを止めるために存在する。しかし、掟はアブラハムの子孫である救い主が来るまでのものだったので、役目を終えたということだ。この約束にある子孫は、神自身の元からやって来た。それと比べて掟は、神が天使を使い、天使はモーセを仲介して人々に掟として与えたのだ。 20 しかし、モーセは神の約束にある「1つの家族」としての仲介者ではない!神が約束を与えた時、仲介者はいなかった。神こそが、一つの家族の神なのだ。
モーセの律法の役割とは
21 という事は、掟は神の約束に反しているということなのか?そんなことはない!掟は人々に新しいいのちを与えることは出来ないということだ。もしそれが可能であるというのであれば、神はそのまま掟を使って過ちからこの世を救い、自由にするはずじゃないか! 22 しかし、それが掟の目的ではないのだ。聖書は全世界のものを、過ちのコントロール下にある牢屋のようなものに入れて閉じ込めた。その結果、人間は唯一イエス・キリストの忠実さを通して神の約束を得ることが出来るのだ。そう!神を信頼する人のみが、その約束を与えられるということだ。
23 忠実な方・・・つまりイエスがこの世界に来られるまでは、私たちは掟に監視される囚人のようだった。やがて来るといわれたイエスの道を示されるまで、希望も自由もなかったのだ。 24 言い替えるなら、掟は救い主が来て救ってくれるまでの間に必要とされた、子供のためのベビーシッターを務める奴隷のような存在だった。しかし、イエスが来たからには、イエスが私たちを正しいものとしてくれたのだ。——【当時は子供が13歳から14歳になるくらいまで家の主に仕えていた奴隷が子育てを任されていた】 25 しかし、忠実であるイエスが来た今となっては、掟という名のベビーシッターを務める奴隷役は必要なくなったというわけだ。
26 それは私たちがみな、信じることによってイエス・キリストに属して神の子供となったからだ。 27 そう!洗礼を受けて救い主と繋がった今では、行動、考え方、そして見られ方まで救い主のようになり、それをまとう。まるで救い主という服を着ているかのようなものなのだ。 28 もはや、あなた達がユダヤ人だろうが、ギリシヤ人だろうが、奴隷だろうが、自由人だろうが、男だろうが、女だろうが、まったく関係ない。みな同じイエスを信じる者であり、イエス・キリストにあって1つなのだ。 29 そして救い主の体の一部となったあなた達は今、本当の意味でアブラハムの子孫であるということだ。すなわち、神がアブラハムの子孫たちに約束された祝福はみな、あなた達のためにもあるということだ。
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