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Japanese Living Bible (JLB)
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コリント人への手紙Ⅰ 5-8

教会をきよく保ちなさい

あなたがたの間に起こった不品行について、みながうわさをしています。それは、異教徒でもしないほどの不品行で、父の妻(おそらく継母のこと)と関係を持っている人が、教会にいるそうではありませんか。 それでもなお、自分たちは信仰深いとしらを切るつもりですか。どうしてそのことで嘆き悲しみ、恥じないのですか。なぜその人を教会から除名しないのですか。

3-4 私はそこにはいっしょにいませんが、私もこの問題をよく考えてみました。そして、実際その場に居合わせたように、主イエス・キリストの御名によって、すでに対策を決めました。さっそく教会で集会を開きなさい。――その時、主イエスの力があなたがたと共にあり、私も霊において出席します。―― そして、その人を罰するために、教会から追放してサタンの手に引き渡しなさい。そうするのは、主イエス・キリストが帰って来られる時に、その人のたましいが救われるようにと願うからです。

あなたがたが、このようなことに目をつぶっているかと思うと、ぞっとします。たとえ一人でも、罪を犯すままに放任しておけば、やがてその影響が全員に及ぶことがわからないのですか。 その人を、あなたがたの間から除きなさい。そうすれば、きよさを保てます。神の小羊であるキリストは、私たちのためにすでに殺されたのです。 ですから、悪意や不正でいっぱいの生活から、完全に離れなさい。しっかりキリストにつながり、クリスチャン生活において、力強く成長しようではありませんか。悪意や不正のまじったパンではなく、誠実と真実という純粋なパンを食べようではありませんか。

私は以前、あなたがたに手紙で、不品行な者たちと交際しないように書き送りました。 10 しかしそれは、信者でない人で性的な罪を犯している者、強欲な者、どろぼう、偶像を拝む者とは口もきくな、という意味ではありません。そのような人たちから離れていようとすれば、この世から出て行かなければならないからです。 11 私がほんとうに意図したところは、自分はクリスチャンだと公言している者で、しかも性的な罪にふける者、貪欲な者、人をだます者、偶像を拝む者、酒に酔う者、人をそしる者とはつき合うな、ということです。そのような者とは、いっしょに食事をすることもいけません。

教会の問題は教会で

12-13 教会外の人たちをさばくことは、私たちの務めではありません。神おひとりのなさることです。しかし、教会員でありながら、このような罪を犯す者がいたら、教会として処置をとることは当然です。その悪い人を教会から除かなければなりません。

クリスチャン同士の争いが生じた時、どちらが正しいかを、他のクリスチャンに判断してもらうのではなく、異教徒の法廷に訴え出るとはいったいどういうつもりですか。 いつか、私たちクリスチャンがこの世をさばき、支配する日が来ることを知らないのですか。この世こそあなたがたにさばかれる運命にあるのに、どうしてあなたがたは、内輪のそんなささいな事件さえ解決できないのですか。 クリスチャンは、天使さえもさばくようになることを知らないのですか。この地上での自分たちの問題をさばくくらい、容易にできるはずです。 それなのになぜ、教会外の、クリスチャンでもない裁判官のもとへ出向くのですか。 あえてあなたがたに恥をかかせようと、私はこう言うのです。いったい教会には、こうした争いを解決できる賢明な人が一人もいないのですか。 だから、クリスチャンがクリスチャンを訴え、しかも、それを不信者の前に持ち出すようなまねをするのですか。 そもそも、訴え合うこと自体がクリスチャンにとって、すでに敗北です。なぜ、不正な仕打ちに甘んじようとしないのですか。だますよりはだまされるほうが、もっと主に喜ばれるでしょう。 ところが、あなたがたは不正を行い、だまし取り、しかも兄弟(信仰を同じくする者)に対して、そのようなことをしているのです。

神の国を相続できない者

9-10 こんな者が神の国を相続できないのは、当然ではありませんか。思い違いをしてはいけません。不道徳な生活をしている者、偶像を拝む者、姦淫する者や同性愛にふける者は、神の国を相続できません。どろぼう、貪欲な者、酒に酔う者、人をけなす者、強盗も同様です。 11 あなたがたの中にも、そんな過去を持つ人がいます。しかし、主イエス・キリストと神の聖霊のおかげで、今はもう罪を洗い流され、あなたがたは神のために聖なる者とされ、神に受け入れられているのです。

12 キリストが禁じておられること以外、私には、何でもする自由があります。しかしその中には、自分のためにならないこともあります。たとえ、してよいことであっても、それに捕らえられたら最後、やめようとしても簡単にやめられないことには手を出しません。

13 食べることについて考えてみましょう。神様は、物を食べるために食欲を与え、消化するために胃を備えてくださいました。だからといって、必要以上に食べてよいということにはなりません。食べることが第一だなどと考えてはいけません。なぜなら、いつの日か神様は、胃も食べ物も取り上げられるからです。

また、性的な罪は絶対にいけません。私たちの体は、そんなことのためにではなく、主のために造られたのです。そして、主ご自身が、私たちの体に住もうと願っておられるのです。 14 神様は、主イエス・キリストを復活させたのと同じ力で、私たちの体をも、死人の中から復活させようとしておられます。 15 あなたがたの体は、キリストの体の一部であることがわからないのですか。キリストの体の一部と売春婦とを結びつけるようなことをしてよいでしょうか。とんでもないことです。 16 もし人が売春婦と結びつくなら、その人と彼女は一心同体になることがわからないのですか。というのは、聖書の中で言われるとおり、神の目に、二人の者は一人とみなされるからです。 17 しかし自分を主にささげるなら、その人とキリストは、一人の人として結び合わされるのです。 18 性的な罪とは無縁になりなさいと私が言うのは、そのためです。この罪を犯すことは、自分の体に対して罪を犯すのです。 19 体は、神様があなたがたに与えてくださった聖霊の家であって、聖霊がそこに住んでおられるのです。あなたがたの体は、自分のものではありません。 20 神様が多額の代価を払って、あなたがたを買い取ってくださったのです。ですから、あなたがたの体のどの部分も、神の栄光を現すために用いなさい。その所有者は神だからです。

結婚について

さて、この前の手紙にあった質問に答えましょう。もし結婚しないなら、それは良いことです。 しかし、普通の場合、結婚するのが一番良いでしょう。男はそれぞれ妻を、女も夫を持ちなさい。そうでないと、不品行の罪に陥る危険があるからです。 夫は妻に、妻が当然受けるものを、すべて与えなければなりません。妻もまた、夫に同様の義務を負っています。 結婚した女性は、もはや自分の体を自分の思いのままにする権利はありません。妻の体に対する権利は、夫にもあるからです。同様に夫も、もはや自分の体を自分だけでどうこうすることはできません。妻も、夫の体に対する権利を持っているからです。 ですから、互いにこの権利を拒んではなりません。ただ一つの例外があります。ひたすら祈りに専心するため、二人が合意の上で、一定の期間、夫婦生活から離れる場合です。そのあと、二人はまたいっしょになるべきです。それは、自制力の弱さにつけ込むサタンの誘惑を避けるためです。 私は、結婚しなければならないと言っているのではありません。ただ、結婚したければ、してもかまわないと言っているのです。 私の願いは、だれもが私のように、結婚しないでもやっていけることです。しかし、それは人それぞれです。神様は、ある人には、夫となり妻となる恵みを与え、ほかの人には、独身のまま幸福に過ごす恵みを与えておられます。

さて、独身者と未亡人にひとこと言いますが、もし私のようにしていられるなら、独身のままでいるほうが良いのです。 しかし、もし自制できないなら、ためらわずに結婚しなさい。情欲を燃やすよりは、結婚するほうが良いからです。 10 次に、結婚した人たちには、単なる忠告ではなく、はっきりと命令しておきます。この命令は、私が考え出したものではありません。主ご自身からの命令です。妻は、夫と別れてはいけません。 11 しかし、もしすでに別れているなら、そのまま一人でいるか、夫のもとに帰るかしなさい。また、夫も、妻を離縁してはいけません。 12 ここで、少し私の考えを付け加えておきましょう。これは主からの直接の命令ではありませんが、私が正しいと思っていることです。夫がクリスチャンで妻はそうでない場合、いっしょにいることを妻が望むなら、追い出したり離婚したりしてはいけません。 13 また、妻がクリスチャンで夫はそうでない場合も、夫がいっしょにいることを望むなら、離婚してはいけません。 14 なぜなら、クリスチャンでない夫は、クリスチャンの妻の助けによって、神の恵みの中にあるからです。また、同様のことが、クリスチャンでない妻の場合にも言えるからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは神と無関係ということになってしまいますが、実際は神の恵みの中にいるのです。 15 しかし、もしクリスチャンでない夫や妻がどうしても別れたいと言うなら、そうさせなさい。こんな時、別れようとする相手を、むりに引き留めるべきではありません。神様は、自分の子どもたちが仲良く平和に暮らすことを望んでおられるからです。 16 なぜなら、結局のところ、妻にとって、いっしょにいれば夫がクリスチャンになるという保証はなく、夫にとっても、妻がクリスチャンになる保証はないからです。

17 しかし、これらを決めるにあたっては、神の導きと助けに従い、どんな立場に置かれようとも、それを受け入れ、神の御心にかなった生活をしていると確信しなさい。私はどこの教会でも、このように指導しています。 18 たとえば、クリスチャンになる前にユダヤ教の割礼(男子が生まれて八日目に、その性器の包皮を切り取る儀式)を受けた人は、そのことを気にしてはいけません。また割礼を受けていない人は、今さら割礼を受けるべきではありません。 19 クリスチャンは、割礼を受けているかどうかで、違いはないからです。真に神を喜ばせ、神の戒めを守っているかどうかが重要なのです。 20 また人は、神の救いを受けた時にしていた仕事を続けるべきです。 21 あなたが奴隷でも、そのことを気にしてはいけません。もし自由の身になる機会があれば、もちろん自由になりなさい。 22 もし奴隷であって主に招かれたのなら、キリストは恐ろしい罪の力からあなたを解放して、自由の身にしてくださったことを忘れてはなりません。また、もしあなたが自由人であって主に招かれたのなら、今はキリストの奴隷であることを忘れてはなりません。 23 あなたがたは、キリストが代価を払って買い取ってくださった身であり、キリストのものなのです。ですから、こうしたこの世の誇りや恐れのすべてから自由になりなさい。 24 愛する皆さん、それぞれがクリスチャンになった時の状態にとどまっていなさい。主が今、助けてくださるからです。

25 さて、別の質問に答えましょう。未婚の女性は結婚してもよいかということですが、私は主からとりたてて命令を受けたわけではありません。しかし、主は恵みによって私に、人々から信頼されるに足る知恵を授けてくださいました。それで、喜んで私の見解を申し上げましょう。 26 クリスチャンは現在、大きな危機に直面しています。このような時には、結婚しないでいるのが一番良いと考えます。 27 もちろん、すでに結婚している人は別れてはなりません。しかし、もし結婚していないなら、このような時に結婚を急いではなりません。 28 もし男性が、どうしても結婚しようと決心し、今そうしたとしても、それは正しいことです。また、このような時に女性が結婚したとしても、罪を犯すわけではありません。ただし、結婚すれば、余計な問題をかかえ込むことになるでしょう。今は、そんな目に会ってほしくないのです。 29 私たちに残された時間はきわめて短く、主の働きをする機会もきわめて少ないのです。そういうわけで、妻のある者も、主のためにできるだけ身軽にしていなければなりません。 30 喜びや悲しみ、財産などが、神の仕事をする妨げになってはなりません。 31 この世の魅力的なものに接することの多い者たちは、その機会を正しく利用し、おぼれることがないようにしなさい。現在の世界は、やがて過ぎ去るからです。 32 何をするにしても、あなたがたがあれこれ思いわずらわないようにと願います。独身の男性の場合、時間を主の働きのためにささげることも、どうしたら主に喜んでいただけるかを常に考えることもできます。 33 しかし、結婚した男性はそうはいきません。どうしても、この世での責任や、妻を喜ばせることに気を取られがちになります。 34 こうして、彼の関心は分散するのです。結婚した女性についても、同様のことが言えます。独身の女性は、何とかして主に喜ばれる者になりたい、主に喜ばれることをしたいと心を配ります。しかし、結婚した女性は、家事や夫の好みまで、いろいろ考えないわけにはいきません。 35 私がこう言うのも、あなたがたのためを思うからであって、結婚させまいとしているのではありません。私が願うのは、あなたがたが、主から思いをそらすようなことをできるだけ避けて、主のために役立つことをすることなのです。

36 しかし、もし高まる感情を抑えるのがむずかしいので結婚すべきだと考える人がいれば、それも結構です。罪ではありません。そういう人は結婚しなさい。 37 しかし、もし独身でいるだけの意志力をもち、自分は結婚する必要もないし、むしろしないほうが良いと考えるなら、その決心はりっぱです。 38 つまり、結婚する人は良いことをしているのであり、結婚しない人は、もっと良いことをしているのです。

39 妻は、夫が生きている間は夫の一部です。夫が死ねば、再婚してもかまいません。ただし、その場合、相手はキリストにしっかりつながっている者に限ります。 40 けれども私の考えでは、もし再婚しないでいられるなら、そのほうがはるかに幸せでしょう。神の聖霊からの助言をいただいて、私はこう言うのです。

偶像への供え物を食べる?

次に、偶像に供えられた物を食べることはどうか、という質問に答えましょう。この件については、だれもが自分の判断は正しいと思っています。しかし、自分の知識がどんなに重要に思えても、教会を建て上げるためにほんとうに必要なのは愛です。 もし、自分はどんな問題にも答えられると思い上がっている人がいたなら、それは、自らの無知をさらけ出しているにすぎません。 しかし、ほんとうに神を愛している人は、神に知られているのです。 では、この問題はどうなるでしょう。偶像に供えた肉を食べてもよいのでしょうか。私たちはみな、偶像など実際には神ではなく、神様はおひとりだけで、ほかにはいないことを知っています。 ある人は、偉大な神々は天にも地にも数多くいると考えています。 しかし私たちは、父なる神ただおひとりであることを知っているのです。この神様が万物を創造し、人間をご自分のものとして造られたのです。また私たちは、ただ一人の主、イエス・キリストがおられることを知っています。この方がすべてのものを造り、私たちにいのちを与えてくださるのです。

けれども、クリスチャンの中には、このことがわかっていない人もいます。そういう人はこれまでずっと、偶像を生きているもののように考えてきたので、ただの偶像に供えられたにすぎない物を、あたかも実在する神々に供えたかのように思ってしまうのです。そのため、それを食べることがひどく気になり、傷つきやすい良心が痛むのです。 ただ、このことを覚えておいてください。神様は、私たちがそれを食べるか食べないかなど気にかけておられません。食べなくても損にはならないし、食べても得をするわけではありません。 ただし、いくら自由といっても、あなたがたがそれを食べたために、あなたがたよりも良心の傷つきやすいクリスチャンがつまずかないよう、くれぐれも注意してください。

10 あなたが、偶像への供え物を食べても別に害にはならないことを知っていて、偶像の神殿の中で食事をしたとします。しかしそれを、食べてはいけないと思っている人が見たら、どう思うでしょうか。その人は、偶像崇拝してもよいのだと勘違いして、自分もそれを食べてしまうかもしれません。 11 すると、それを食べても差しつかえないことを知っていたあなたは、傷つきやすい良心を持った兄弟に、信仰上の大きな損害を与えてしまうことになります。キリストは、その兄弟のためにも死んでくださったのです。 12 ある行為を悪いと信じている兄弟が、あなたがたのふるまいに刺激されてその行為をしてしまうなら、あなたがたはその兄弟に罪を犯し、同時にキリストに対しても罪を犯すことになるのです。 13 ですから、もし偶像に供えた肉を食べることで兄弟をつまずかせるなら、私は一生それを食べません。

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