Print Page Options
Previous Prev Day Next DayNext

Book of Common Prayer

Daily Old and New Testament readings based on the Book of Common Prayer.
Duration: 861 days
Japanese Living Bible (JLB)
Version
詩篇 30

30 私は主をほめたたえます。
神は私を敵の手から助け出し、
敵が勝ち誇るのをお許しにならなかったからです。
ああ主よ。主は私の願いを聞き入れて、
元の健康な体に戻してくださいました。
墓の入口から、連れ戻してくださいました。
おかげで、こうして生きることができます。

主を信じる人よ。主を賛美し、
主のきよい御名に感謝しなさい。
主の怒りはつかの間ですが、
その恵みは生きる限り続きます。
たとえ、夜通し泣き明かすことがあっても、
朝には喜びが訪れます。
6-7 順境の日に、私は言いました。
「いつまでも今のままだ。
だれも私のじゃまはできない。
主が恵んでくださって、
私をびくともしない山のようにしてくださった。」
ところが、神は顔をそむけて、
祝福の川をからしたのです。
たちまち私は意気消沈し、恐怖におびえました。
ああ主よ。私は大声でお願いしました。
「主よ、私を殺したって、一文の得にもなりません。
生きていてこそ、友人の前で
あなたをたたえることができるのです。
墓に埋められたら、どうしてあなたの真実を
世間に知らせることができましょう。
10 ああ主よ、どうか私をあわれみ、助けてください。」
11 すると、神は嘆きを喜びに変え、喪服を脱がせて、
きらびやかな晴れ着を着せてくださいました。
12 墓に埋められることなく、
神に喜ばしい賛美の歌声を上げるためです。
ああ神、主よ。
私はいつまでもこの感謝の気持ちを忘れません。

詩篇 32

32 1-2 罪を赦された人は、どれほど幸せなことでしょう。
罪がすっかり消された喜びは、
どれほど大きいことでしょう。
罪を告白し、その記録を消し去ってもらった人は、
どれほど解放感を味わうことでしょう。

私には、罪を認めたくない時がありました。
しかし、私はかえってみじめになり、
くる日もくる日も挫折感にとらわれて過ごしました。
神の御手が、いつも重くのしかかっていました。
私の力は、強烈な日ざしの照りつける
水たまりのように干上がりました。
とうとう私は、自分の罪を
神の前にさらけ出さざるをえませんでした。
「何もかも主にお話ししよう」と決心したのです。
すると、あなたは赦してくださいました。
私の罪は跡形もなく消えたのです。
私は神を信じる人々に、
自分の罪に気づいたら、まだ赦される間に
神に告白しなさいと、大声で忠告します。
そうすれば、その人はさばきを免れるのです。

この人生に、どんな嵐が吹き寄せようと、
私は神のもとに避難します。
そこでは勝利の歌が響き、
苦しみに巻き込まれることがないからです。
主はこう言われます。
わたしはあなたを教え、最善の人生へと導こう。
助言を与えて、一歩一歩を見守ろう。
くつわをはめなければ言うことを聞かない、
馬やらばのようになってはいけない。
10 悪者どもは次々と悲しみに見舞われますが、
主に信頼する人は無限の愛に包まれます。
11 ですから、神のものとなっている人々は喜びなさい。
神に従おうとする人々は、
喜びの声を上げなさい。

詩篇 42-43

42 ああ神よ。鹿が水をあえぎ求めるように、
私はあなたを慕い求めます。
焼けつくような渇きを覚えながら、
私は、生きておられる神を求めています。
どこへ行けば、お目にかかれるのでしょうか。
昼も夜も涙にむせびながら、
神の助けを祈っています。
かたわらでは敵が、
「おまえの神はどこへ行った」とあざけるのです。
4-5 さあ、私のたましいよ、元気を出せ。
あの日のことを思い出すのだ。
まさか忘れてはいないだろう。
あの祭りの日、多くの人の先頭に立って神の宮に上り、
喜びに満たされて賛美の歌を歌ったことを。
どうしてそのように沈み込む必要があるのか。
どうして悲しげにふさぎ込んでいるのか。
神に望みを託すがよい。
そうだ、助けを信じて、
もう一度神をほめたたえよう。

それでもなお、私は気落ちし、ふさぎ込んでいます。
しかし、やがて私は、ヨルダン川が流れ、
ヘルモン山やミツァル山のそびえる美しいこの地に
注がれている、神の恵みを思い巡らします。
神のさかまく大波が私の頭上を越え、
悲しみの洪水が、とどろく大滝のように
降りかかってきます。
しかし主は
日ごとに変わらない愛を注いでくださいます。
私は夜通し賛美の歌を歌い、
このいのちを授けてくださった神に祈りをささげます。
「ああ、岩なる神よ」と、私は叫びます。
「なぜ、私をお見捨てになったのですか。
なぜ、私は敵の攻撃にさらされて、
こんなにも苦しまなければならないのですか。」
10 人のあざけりがこの身を突き刺し、
深い傷を負わせます。
彼らは、「おまえの神はいったいどこへ行った」と
あざ笑います。
11 しかし、私のたましいよ、
気落ちするな。動転するな。
神に期待せよ。
神がすばらしいことをしてくださり、
私はきっと賛嘆の声を上げるのだから。
このお方こそ、私の命綱、私の神。

43 ああ神よ、情け容赦なくだまし取ろうとする
者どもの言いがかりから、守ってください。
あなたは、かけがえのない隠れ家なのです。
どうして、私のことなど知らないかのように
突き放されるのですか。
どうして、私が敵に痛めつけられて
嘆かなければならないのですか。
どうか、あなたの光と真実を送って、
きよいシオンの山にある神の宮へと
私を導くようにしてください。
この上ない喜びにあふれて祭壇の前に立ち、
竪琴をかきならしながら賛美したいのです。
ああ神よ。
私のたましいよ、
どうしてそんなに気落ちしてふさぎ込むのか。
神に何もかも任せなさい。
きっとすばらしい助けの手が差し伸べられ、
感謝の思いに満たされる。
神は再び、私をほほえませてくださる。
このお方こそ、私の神。

ヨブ 記 22:1-4

エリファズのことば

22 エリファズの再度の演説。
「人は少しでも神の役に立つことがあるのだろうか。
最高の知恵者でさえ、自分の役に立つだけだ。
あなたが正しいからといって、全能者は喜ぶだろうか。
あなたが完全だからといって、
神の得になるだろうか。
罰を受けているのは、あなたが正しいからだろうか。

ヨブ 記 22:21-23:7

21 神に口答えするのはやめることだ。
いさぎよく和解することだ。
そうしたら、心に安らぎが訪れる。
間違っていたことを素直に認めれば、
神のいつくしみがある。
22 神の教えに耳を傾け、それを心にたくわえるのだ。
23 神に立ち返り、いっさいの悪を閉め出せば、
あなたは元どおり栄える。
24 金銭欲を断ち切り、取っておきの黄金を捨てれば、
25 全能者があなたの宝となり、
神が貴重な銀となるのだ。
26 そのとき、あなたは主の恵みを感じて喜び、
神を見上げる。
27 祈れば神が答えてくれるので、
あなたも神への約束をみな果たすようになる。
28 望むことはすべて実現し、
あなたの進む道には天の光がさす。
29 たとい攻撃され、打ち倒されても、
必ずまた高い地位に戻される。神は謙遜な者を救い、
30 あなたのきよい手で、罪人をさえ助けるのだ。」

ヨブのことば

23 ヨブの返答。
「今日も私は、やり場のない不満に苦しんでいる。
間違いを犯したとしても、
いくら何でも罰がきびしすぎるのではないか。
神とどこで会えるかがわかりさえすれば、
さっそく御座へ行って談判できるのだが。
4-5 こちらの言い分を何もかも話したうえで、
神の返事を聞き、何がお望みなのかを知りたいのだ。
偉大な神が、
私を威嚇して寄せつけないことがあろうか。
むしろ、私の言うことを聞いて同情するに違いない。
正直で公正な者だけが神と論じ合うことが許され、
さばき主である神によって無罪放免となる。

使徒の働き 13:26-43

26 アブラハムの子孫の方々、ならびに、神を敬う外国人の皆さん。この救いは、私たちみんなのものです。 27 エルサレムにいるユダヤ人とその指導者たちは、イエスを処刑することで、皮肉にも、預言を実現させたのです。彼らは安息日ごとに預言者のことばが読まれるのを聞きながら、イエスこそ、その預言されたお方であることを認めようとしませんでした。 28 そして、罰せられる正当な理由は何一つなかったのに、どうしても死刑にするようピラトに要求したのです。 29 こうして、預言どおりにイエスは死なれたのです。そのあと、イエスの遺体は十字架から降ろされ、墓に葬られました。

30 しかし神様は、このイエスを復活させてくださったのです。 31 イエスは幾日もの間、ガリラヤからエルサレムまでずっと行動を共にした人たちに、たびたび姿を現されました。復活のイエスにお会いした人たちは、人々にこのことを証言し続けてきたのです。

32-33 バルナバと私もまた、この喜びの知らせを伝えようと、こうしてやって来ました。その知らせとは、神様がイエスを復活させたことによって、私たちの先祖への約束が今の時代に実現したということです。聖書の詩篇に、『今日、わたしはあなたに、子としての名誉を与えた』とあるとおりです。

34 神様はイエスを復活させ、二度と死なない方となさいました。聖書に、『わたしはダビデに約束したすばらしい祝福を、あなたがたに与える』とあるとおりです。 35 またほかの箇所では、もっとはっきり言われています。『神は、ご自分の聖なる方が朽ち果てるのをお許しにならない。』 36 これは、ダビデのことではありません。ダビデは神の意思に忠実に仕える人生を送り、死んで葬られ、その体は朽ち果てたのです。 37 しかし神が復活させた方は、墓の中で朽ちませんでした。

38 聞いてください、皆さん! このイエスこそ、皆さんの罪を赦してくださるのです。 39 イエスを信じる人はみな、すべての罪から解放され、正しい者と宣言されるのです。これは、モーセの律法ではどうしてもできないことでした。 40 くれぐれも注意してください。預言者たちの次のことばが、皆さんに的中しないように。

41 『見よ。

真理を見下す者どもよ、滅べ。
おまえたちの時代に、一つのことをなそう。
どんなに説明しても、
とうてい信じられないことを。』」ハバクク1・5

42 その日、二人が会堂から出る時、人々は、次の週もまた話してほしいと頼みました。 43 礼拝が終わってからも多くのユダヤ人や熱心な外国人改宗者が、パウロとバルナバについて来ました。二人はその人たちに、神の恵みを受けるようにと教えました。

ヨハネの福音書 10:1-18

良い羊飼いであるイエス

10 「よく言っておきます。羊の囲いの中に門から入らないで、柵を乗り越えて忍び込む者は強盗です。 羊飼いなら堂々と門から入って来るはずです。 門番も羊飼いには門を開けてくれます。彼の声を聞くと、羊は回りに駆け寄って来ます。羊飼いは一匹一匹自分の羊の名を呼んで連れ出すのです。 先頭に立つのは羊飼い、羊はそのあとについて行きます。その声を知っているからです。 知らない人にはついて行かず、反対に逃げ出します。聞き覚えのない声だからです。」 イエスがこのたとえ話をなさっても、聞いている人々には、どういう意味かさっぱりわかりませんでした。

そこでイエスは説明なさいました。「いいですか。わたしが羊の出入りする門なのです。 わたしより前に来た人々はみな、どろぼうか強盗です。羊は、彼らの言うことは聞きませんでした。 わたしは門なのです。この門から入る者は救われます。また、安心して出入りができ、緑の牧草を見つけるのです。 10 強盗は、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするために来ます。しかしわたしが来たのは、いのちをあふれるほど豊かに与えるためです。 11 わたしはまた、良い羊飼いです。良い羊飼いは羊のためにはいのちも捨てます。 12 雇い人は、狼が来れば羊を捨てて、すぐに逃げ出します。彼らは羊の持ち主でも、羊飼いでもないからです。こうして狼は羊にとびかかり、群れを追い散らしてしまいます。 13 雇い人はお金で雇われているだけで、羊のことをほんとうに心にかけているわけではないので、平気で逃げてしまうのです。 14 わたしは良い羊飼いであり、自分の羊を知っています。また、羊もわたしを知っています。 15 わたしの父がわたしを知っておられ、わたしも父を知っているのと同じです。わたしは羊のためにいのちを捨てるのです。 16 このほかに、別の囲いにも羊がいます。その羊をも導かなければなりません。やがてその羊も、わたしの声に注意深く聞き従い、一人の羊飼いのもとに一つの群れとなるのです。 17 わたしが再びいのちを得るためにいのちを投げ出すからこそ、父はわたしを愛してくださいます。 18 だれもわたしの意に反して、わたしを殺すことはできません。わたしが、自分から進んでいのちを捨てるのです。わたしには、いのちを自由に捨て、もう一度それを得る権威と力があるからです。父がこの権威を下さったのです。」

Japanese Living Bible (JLB)

Copyright© 1978, 2011, 2016 by Biblica, Inc.® Used by permission. All rights reserved worldwide.