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漏出による汚れときよめ

15 1-2 さらに、主はモーセとアロンに告げました。「人々に次のような指示を与えなさい。だれでも陰部から漏出があれば、汚れた者とみなされる。 実際に漏出があるときだけでなく、漏出がないときも、その期間は汚れた者となる。 寝床や座る物もみな汚れる。 患者の寝床にさわるだけで、夕方まで汚れた者となる。そうなれば、衣服と体を洗わなければならない。 汚れた者の座った物に座る者も、礼拝規定上は夕方まで汚れた者となる。やはり、衣服と体を洗わなければならない。 また、漏出を病む人の患部にさわった場合も同じである。 患者につばをかけられたときも夕方まで汚れた者となり、衣服と体を洗わなければならない。 患者の乗った鞍は汚れる。 10 何でも患者が座った物にさわったり、それを運んだりした者は、夕方まで汚れた者となり、衣服と体を洗わなければならない。 11 患者が手を洗わずに人にさわったら、さわられた者は衣服と体を洗わなければならない。夕方までは汚れた者とみなされる。 12 汚れた者がさわった土の器は全部壊しなさい。木の容器は水できれいに洗えばよい。

13 漏出が止まったら、七日間きよめの儀式を行いなさい。衣服を洗い、流水で体を洗うのだ。 14 八日目に、幕屋の入口に、山鳩か家鳩のひな二羽を持って来て、祭司に渡す。 15 祭司はそこでいけにえをささげる。一羽を罪の赦しのためのいけにえに、もう一羽を焼き尽くすいけにえにする。こうして祭司は、漏出を病んだ患者のために罪の償いをする。

16 精液を漏らしたときは全身を洗うこと。本人は夕方まで汚れた者となる。 17 精液のついた衣服や皮も夕方まで汚れたものとなり、洗わなければならない。 18 性行為後は、男も女も体を洗わなければならない。二人とも翌日の夕方まで、汚れた者とみなされる。

19 女が生理のとき、七日間は汚れた者となる。その期間に女にさわる者はだれでも、夕方まで汚れる。 20 その期間に女の寝る床や座る物は汚れる。 21-23 女の寝床や座った物にさわる者も、衣服と体を洗わなければならない。夕方まで汚れた者となる。 24 この期間に女と性行為をする者は、礼拝規定で七日間汚れた者となる。彼の寝床も汚れる。

25 生理の出血が、普通の期間を過ぎても止まらないか、不定期にあった場合にも、同じ規定を適用する。 26 その期間に寝た床は、通常の生理の場合と同様に汚れる。座った物も同じである。 27 その女の寝床や座った物にさわる者は夕方まで汚れる。衣服と体を洗いなさい。 28 月のものが止まって七日たったら、汚れはきよくなる。

29 八日目に、山鳩か家鳩のひな二羽を、天幕の入口の祭司のところに持って行きなさい。 30 祭司は一羽を罪の赦しのためのいけにえに、もう一羽を焼き尽くすいけにえにする。生理の汚れのために、主の前でその女の罪の償いをする。 31 こうして、人々を汚れからきよめる。彼らの間に建てられたわたしの聖所を汚し、死ぬようなことがないためだ。」

32-33 以上が、陰部に漏出のある者や、精液を出して汚れた者、生理の期間中の女、その期間中の女と性行為を行った者に関する指示です。

贖罪の日

16 1-2 アロンの二人の息子が主の前に近づいて死んだのち、主はモーセに告げました。「あなたの兄アロンによく言っておきなさい。勝手に垂れ幕の奥の聖所(至聖所と呼ばれる)に入り、契約の箱(十戒が納められている)の上の『恵みの座』に近づいてはならない。死なないためである。『恵みの座』にかかる雲の中に、わたしは現れるからだ。

アロンがそこに入るときは、次のようにしなさい。若い雄牛を罪の赦しのためのいけにえとして、また、焼き尽くすいけにえとして用意し、 体を洗い、神聖な亜麻布の長服、下着、帯、ターバンを必ず身に着けなさい。 それから、罪の赦しのためのいけにえに雄やぎ二頭、焼き尽くすいけにえに雄羊一頭を、会衆から受け取る。 アロンはまず自分のために、罪の赦しのために若い雄牛をささげ、自分と家族の罪の償いをする。 続いて、主の前、幕屋の入口にやぎ二頭を引いて来て、 くじを引き、神のものになるほうと、すべての民の罪の身代わりに荒野へ放つほうを決める。 主のものと決まったほうを、罪の赦しのためのいけにえとする。 10 もう一頭は、生かしたままで主の前に置く。罪を償う儀式を行ったら、すべての民の罪の身代わりとして荒野へ放つ。

11 自分と家族の罪が赦されるために若い雄牛をささげたあと、 12 アロンは主の祭壇から炭火を火皿いっぱいに取り、細かく砕いた香り高い香を両手いっぱいにつかんで垂れ幕の奥に入る。 13 そこで主の前に香を炭火にくべる。香の煙が契約の箱の上の『恵みの座』を包むようにする。こうすればアロンは死なない。 14 次に、若い雄牛の血を持ってもう一度中へ入り、指につけて『恵みの座』の東側に振りかけ、前面にも七回振りかける。

15 それが終わったら出て行って、民の罪が赦されるためのいけにえとしてやぎをほふり、その血を垂れ幕の奥へ持って入り、若い雄牛のときと同じように、『恵みの座』の上と前面に振りかける。 16 このようにして、アロンは至聖所の汚れをきよめる。至聖所が人々の罪で汚されたからだ。人々のただ中にあって、汚れに囲まれている幕屋のためにも、同様にする。 17 アロンが聖所に入って罪の償いをするときは、自分と家族と全イスラエル人のために罪の償いをして出て来るまで、だれひとり幕屋に入ってはならない。 18 それがすんだら、主の前にある祭壇の汚れをきよめる。若い雄牛とやぎの血を祭壇の角に塗る。 19 また、指に血をつけて祭壇に七回振りかける。こうして、祭壇を全イスラエル人の罪からきよめ、神聖なものとする。

20 至聖所と幕屋全体と祭壇をきよめる儀式が終わったら、アロンはもう一頭の生きているやぎを引いて来て、 21 その頭に両手を置き、民の犯した罪をすべて告白する。すべての罪をやぎの頭に載せ、特別その仕事に任じられた者が荒野に放つ。 22 やぎは人々のすべての罪を背負ったまま無人の地へ引いて行かれ、荒野に放たれる。

23 それからアロンはまた幕屋に入り、垂れ幕の奥へ入るときにつけていた亜麻布の装束を脱ぐ。服はそこへ置いたままにして、 24 神聖な場所で体を洗い、大祭司のいつもの服に着替えて外へ出て、自分と民のために、焼き尽くすいけにえをささげ、罪の償いをする。 25 罪の赦しのためのいけにえの脂肪も祭壇で焼く。 26 やぎを荒野へ引いて行った者は、衣服と体を洗ってから野営地に戻る。 27 罪の赦しのためのいけにえにした若い雄牛とやぎの死骸で、アロンが至聖所内で罪の償いの儀式に使ったものは野営地の外に運び出し、皮も内臓もみな焼き捨てる。 28 これを焼く者は、衣服と体を洗ったあと野営地へ戻る。

29-30 これから命じることは、あなたがたが永遠に守るべきおきてである。毎年第七の月の十日(太陽暦では九月二十四日)は何の仕事もせず、謙虚に自分を反省する日としなさい。イスラエル人も共に住む外国人も区別はない。この日は、すべての罪が赦され、神の目から見てきよい者と認められる、罪の償いの日だからだ。 31 完全な休息の日として、身も心も静め、謙遜な思いで一日を過ごしなさい。これは永遠のおきてである。 32 アロンの死後も、彼の後継者として油を注がれる大祭司が、代々この儀式をとり行う。神聖な亜麻布の装束を身にまとい、 33 聖所、幕屋、祭壇、祭司、全国民の汚れをきよめ、罪の償いをしなさい。 34 くり返すが、これはイスラエルの永遠のおきてであり、年に一度、すべての民の罪が赦されるためになされるものである。」

35 アロンは、主がモーセに指示したとおり、すべて行いました。

いけにえをささげる場所

17 1-2 主はまた、アロンと祭司への教え、すべてのイスラエルの民への教えをモーセに示しました。 3-4 「雄牛、子羊、やぎを幕屋以外の場所でいけにえとしてささげる者は殺害の罪に問われ、国から追放される。 これは、野外でいけにえをささげることを禁止し、いけにえはすべて幕屋の入口の祭司のところに持って来させ、そこで、脂肪を焼き、わたしの受け入れる香りを放つようにさせるためである。 このようにして、祭司は幕屋の入口にある神の祭壇に血を振りかけることができ、また、わたしの受け入れる香りを放つための脂肪を焼くことができる。 そして、イスラエル人は二度と野外で悪霊にいけにえをささげなくなる。これは彼らにとって守るべき永遠のおきてである。 8-9 くり返すが、イスラエル人であっても共に住む外国人であっても、焼き尽くすいけにえや他のいけにえを、幕屋の入口以外の場所でささげる者は追放される。

血を食べてはならない

10 また、イスラエル人であっても、在留外国人であっても、血を食べる者からわたしは顔をそむけ、イスラエルから追放する。 11 血はいのちそのものであり、罪を償い、たましいを救う代償として祭壇に振りかけるものだからだ。 12 イスラエル人も在留外国人も、血を食べてはならないと命じたのは、このためである。 13 イスラエル人でも在留外国人でも、猟に出かけ、食用にできる動物や鳥を殺した場合は、血を絞り出し、土をかぶせておかなければならない。 14 血はいのちだからである。動物でも鳥でも、いのちは血にあるのだから、血を食べてはならない。血を食べる者は追放される。

15 自然に死ぬか、野獣に裂き殺されるかした動物を食べるなら、イスラエル人でも在留外国人でも、衣服と体を洗わなければならない。夕方まで汚れた者となる。そのあとは、彼はきよい者とみなされる。 16 この決まりどおりにしなければ、どんな罰を受けようと、すべて本人の責任である。」

コリントで

18 パウロは、アテネを去り、コリントへ行きました。 2-3 そこで、ポント生まれのアクラというユダヤ人と知り合いになりました。この人は妻プリスキラと連れ立って、最近イタリヤから来たばかりでした。彼らは、クラウデオ帝がローマ在住の全ユダヤ人の追放令を出したため、イタリヤから追い出されたのです。アクラもパウロと同じ天幕作りの職人だったので、パウロはその家に同居して、いっしょに仕事を始めました。

パウロは安息日ごとに会堂に出かけ、ユダヤ人だけでなく、外国人をも説得しようと努めました。 シラスとテモテがマケドニヤから来てからは、みことばを教えることにすべての時間を割き、ユダヤ人に対して、イエスこそキリストだと語りました。 ところが、ユダヤ人たちは反抗し、侮辱を加えるばかりか、イエスのことまでひどくののしるのです。そこでパウロは、彼らときっぱり縁を切るしるしに上着のちりを払い、こう言い放ちました。「あなたたちの血の責任は、あなたたちに降りかかれ! 私の責任ではない。これからは、外国人を教えよう。」

その後パウロは、テテオ・ユストという外国人の家に泊めてもらうことにしました。この人は、外国人ながらも神を敬う人で、ちょうどよいことに、彼の家の隣が会堂でした。 会堂管理人クリスポの一家は、ほかの多くのコリント人と共に主を信じ、バプテスマ(洗礼)を受けました。

ある夜、主は幻の中で、パウロに言われました。「恐れるな。語り続けなさい。やめてはいけない。 10 わたしがついている。だれもあなたに危害を加えることはできない。この町には、わたしにつく者がたくさんいる。」 11 パウロは一年六か月の間、コリントにとどまり、神の真理を教えました。

12 しかし、ガリオがアカヤ地方の総督(ローマから属州に派遣された行政長官)に就任すると、ユダヤ人は徒党を組んでパウロに反抗し、力ずくで総督のところへ引っぱって行き、 13 「ローマの法律に反するやり方で、神を礼拝しろと教える不届き者です」と訴えました。 14 パウロが釈明するより早く、ガリオが口を開きました。「いいか、ユダヤ人諸君。犯罪事件なら、諸君の訴えを聞きもしよう。 15 しかし、これは何だ。ことばの解釈とか、人物批判とか、諸君のばかげたおきてに関する事ばかりではないか。そんなことは、自分たちで始末をつけるがよかろう。私にはどうでもいいことだし、かかわりになりたくもない。」 16 これだけ言うと、ガリオは人々を法廷から追い出しました。

17 暴徒たちは、腹立ちまぎれに会堂の新しい管理人ソステネを捕らえ、法廷の外で打ちたたきました。しかしガリオは、そんなことにはまるで無関心でした。

18 このあとも、パウロはコリントにとどまりましたが、しばらくすると、コリントのクリスチャンたちに別れを告げ、プリスキラとアクラを連れて、船でシリヤに向かいました。パウロはこの時、一つの誓いを立てていたので、ケンクレヤで頭をそりました。そうするのが、ユダヤ人の慣習だったのです。 19 一行がエペソに着くと、パウロは二人を船に残したまま会堂へ出かけ、ユダヤ人たちと議論を戦わせました。 20-21 「もう少し、いてくださいませんか」と人々に頼まれましたが、「どうしても祭りまでにエルサレムへ行かなければならないのです」と、断るほかありませんでした。機会さえあれば、また必ず来ると約束して、一行は船旅を続けました。

22 やがて、船はカイザリヤに着き、上陸したパウロはまずエルサレムの教会を訪問し、みなにあいさつしてから、アンテオケに向かいました。

パウロ、第三回伝道旅行へ

23 パウロはアンテオケにしばらくいたあと、また小アジヤへ行き、ガラテヤとフルギヤ地方の教会を訪問して、力づけて回りました。

24 そのころ、すばらしい聖書教師で、説教者としても有能なアポロというユダヤ人が、エジプトのアレキサンドリヤからエペソに来ました。 25-26 アポロはエジプトにいたころ、バプテスマのヨハネのことと、ヨハネがイエスについて語ったことを聞いた以外、何も知りませんでした。それでも大胆に、また熱心に、「メシヤ(救い主)がもうすぐ来られます。お迎えの準備をしなさい」と会堂で説教しました。プリスキラとアクラも、その力強い説教を聞きました。二人はあとでアポロに面会を求め、ヨハネの預言以後、イエスの身に起こったことと、その意味を正確に説明しました。

27 アポロの希望はギリシヤへ行くことでした。エペソのクリスチャンたちは賛成して、彼を大いに励まし、コリントの教会に手紙で、アポロのことをよろしくと伝えました。アポロはそこで、神のためにいかんなく力を発揮し、教会を励ましました。 28 また公の場では、ユダヤ人たちを論破し、聖書によって、イエスこそキリストであることを力強く示しました。