私の推薦状はあなたがた

私は今、偽教師のまねをして自分の推薦を始めているのでしょうか。あなたがたの身近にいる偽教師たちは、自分で自分を推薦したり、あなたがたあての長い推薦状を持って行ったりしなければならないような人たちです。しかし私たちは、だれからも推薦状を書いてもらう必要などないと思っています。また、あなたがたからの推薦状も必要ではありません。 私たちの推薦状は、あなたがた自身です。あなたがたの心の、そのすばらしい変わりようを見れば、だれにも、私たちの良い働きは一目瞭然です。 あなたがたそのものが、私たちが書いた「キリストからの手紙」であり、それはペンとインクではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心に刻み込まれた手紙です。 大胆にこのような自慢をするのは、キリストを通して、心から神に信頼しているからにほかなりません。すなわち、神様は必ず、私たちのことばが真実となるよう助けてくださると信じているからです。 それは私たちが不変の価値がある何かを、自分の力でできると考えているからではありません。私たちの力も成功も、ただ神から来るのです。 神様は私たちが、人々を救う新しい契約について、人々に知らせることができるように助けてくださいました。それは、「神の律法(おきてや戒律)を全部守れ。さもないと滅びるぞ」と教えているのではありません。「御霊が新しいいのちを下さる」と教えているのです。「モーセの十戒」を守って救われようとする、古い方法の行き着く先は死です。しかし新しい方法によれば、御霊からいのちをいただけるのです。

消え去る栄光と永遠の栄光

けれども、死に通じる、石板に刻まれた文字による方法出エジプト31・18も、初めは輝かしい栄光をおびていたのです。その栄光のまばゆさに、イスラエルの人々は、モーセの顔をまともに見られないほどでした。従うべき神の律法を示した時のモーセの顔は、神の栄光そのもので光り輝いていたからです。――もっとも、その輝きは、やがて消え去る運命にあったのですが。 とすれば、御霊がいのちを与えてくださる、この今の時には、はるかにすばらしい栄光を期待できるのではないでしょうか。 死に通じる計画にも栄光があったのなら、人々を神との正しい関係に導く計画には、なおさら栄光が満ちあふれるのです。 10 事実、モーセの顔の最初の栄光は、新しい契約の圧倒的な栄光に比べれば、取るに足りないものです。 11 もし消え去ってゆく古い方法にも天の栄光が満ちていたとすれば、私たちの救いのために立てられた、永遠に続く神の新しい契約には、はるかにまさった栄光があるはずです。

12 この新しい栄光は決して消え去らないと確信しているので、私たちはきわめて大胆に語れるのです。 13 そしてモーセのように、栄光の消えていく様子をイスラエルの人々から隠すため、顔に覆いをかけたりはしません。

14 覆いがかけられたのは、モーセの顔だけではありません。イスラエルの人々の霊的理解力も覆われたのです。今でも、聖書が朗読される時、ユダヤ人の思いには、厚い覆いがかかっているように思えます。というのは、聖書のほんとうの意味を知ることも、理解することもできないからです。この覆いは、キリストを信じて初めて取り除かれるのです。 15 確かに今日でも、彼らがモーセの書を朗読する時、その心には覆いがかかったままです。

16 しかし、だれでも罪に背を向け、主のほうに向く時、その覆いは取り除かれます。 17 主は、いのちを与えてくださる御霊です。御霊のおられるところには自由があります。 18 私たちには顔の覆いがありません。鏡のように、主の栄光をはっきり映すことができます。そして、主の御霊が私たちのうちで働いてくださるにつれ、私たちはますます主に似た者にされていくのです。

福音を伝えるという、このすばらしい務めに私たちを任命してくださったのは、神ご自身です。それはあわれみによるのです。ですから、私たちは決して落胆しません。 信じさせるために、あれこれたくらむようなまねはしません。だましたりしたくないのです。書かれてもいないことを、聖書の教えであるかのように思わせることもしません。そのような恥ずかしい方法は用いません。語る時には、神の前に立って真実を語ります。私たちを知っている人はみな、このことを認めてくれるはずです。

もし私たちの宣べ伝える福音が、だれかの目に隠されているとしたら、永遠の滅びに向かっている人に対してです。 それは、この邪悪な世の神であるサタンのしわざです。目隠しをさせて、その人の上に輝いている福音の栄光が見えないようにしているのです。また、まことの神、キリストの栄光に関する私たちの証言を理解できないようにしているのです。

私たちは、自分のことを宣伝しているのではありません。主であるキリスト・イエスを宣べ伝えているのです。私たちはただ、イエスが私たちのために成し遂げてくださったことを知ったので、あなたがたに仕える者となっただけです。 「闇の中に光が輝け」創世1・3と言われた神様が、私たちに、イエス・キリストの御顔に輝いている、神の栄光の輝きを理解させてくださったからです。

永遠に続く喜び

このすばらしい宝〔私たちのうちに輝いている光と力〕は、こわれやすい器〔私たちの弱い肉体〕の中に入っています。私たちのうちにある栄光に満ちた力は、神に与えられたものであって、私たち自身から出たものでないことは明らかです。 私たちは四方八方から苦しめられ、圧迫されますが、押しつぶされ、打ちのめされることはありません。「どうしてこんなことが」と途方にくれることがあっても、行きづまることはありません。 迫害されますが、神に見捨てられることはありません。打ち倒されても、また立ち上がって、前進を続けます。 10 この体は、かつてのイエス様がそうであったように、いつも死に直面しています。ですから、私たちを安全に守ってくださる方は、私たちのうちに生きておられるイエスだけであることが明らかになるのです。 11 まことに私たちは、主に仕えているために、絶えず死の危険にさらされています。しかし、そのことでかえって、死ぬべき私たちの体によって、イエス・キリストのいのちを明らかに示す機会が与えられているのです。 12 私たちはキリストの福音を宣べ伝えているために、死に直面しています。しかしその結果、あなたがたに永遠のいのちが与えられるのです。 13 詩篇の作者は、「私は信じている。それゆえに語る」(116・10)と言いました。同じように私たちも、自分が神の守りの中にあることを確信して、信じていることを大胆に語ります。 14 主イエスを死から復活させてくださった神様が、私たちをもイエスと共に復活させ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを信じています。 15 こんな苦しみに甘んじているのも、あなたがたのためを思うからです。キリストに導かれる人が増えれば増えるほど、その大きな恵みがますます多くの人におよんで、感謝に満ちあふれ、主の栄光が明らかになるのです。

16 ですから、私たちは決して落胆しません。肉体はしだいに衰えますが、うちにある力は日ごとに強くなっていきます。 17 今の私たちの苦しみや悩みは、結局のところ、取るに足りないものであり、それほど長くは続きません。そして、このつかの間の苦しみは、永遠に尽きない、あふれるばかりの神の祝福をもたらすのです。 18 ですから私たちは、いま見えるもの、すなわち身の回りの苦しみには目をとめません。むしろ、今は見えない天にある喜びを望み見ているのです。苦しみは、やがて消え去ります。しかし、その喜びは永遠に続くのです。

私たちがいま住んでいる地上の家が取りこわされても〔すなわち、私たちが死んでこの肉体を離れても〕、天には新しい体、永遠に保証された家があります。それは、人の手ではなく、神の手でつくられた家です。 今のこの体は傷み衰えていますが、天で与えられる体を新しい着物のようにまとえる日を、首を長くして待っているのです。 それを着れば、体のない霊だけの状態でいることはないからです。 この地上の体のために嘆きやうめきがありますが、だからといって、死んで、体のない状態になりたいとは思いません。その新しい体を着たいと願うばかりです。そうすれば、この死ぬべき体が、永遠のいのちにのみ込まれてしまうからです。 これこそ、神様が私たちのために用意してくださったことであり、その保証として、御霊を遣わしてくださったのです。

いま私たちは、確信をもって天で与えられる体を待ちこがれています。また、このように地上の体で過ごしている間は、イエスと共に過ごす、天国の永遠の家から離れていることもよく知っています。 実際に見ることによってではなく、信じることによって、これを事実と認めているのです。 ですから、少しも恐れません。むしろ、死ぬことは願わしいのです。それは、天の家に主と共に住むことを意味するからです。 そういうわけで、地上でこの肉体のままでいようと、肉体を離れて主と共に天にいようと、私たちの目的は、いつも主に喜ばれることです。 10 なぜなら、やがて私たちはみな、キリストの前でさばきを受けなければならず、全生活がさらけ出されることになるからです。善であれ悪であれ、地上の体でいる時の行いに応じて、私たちはそれぞれ、ふさわしい報いを受けるのです。

キリストの大使として

11 ですから、私たちの心にいつも主を恐れる思いがあるのです。それで、ほかの人々を説得しようと必死になっているのです。それが純粋な気持ちから出ていることを、神様はご存じです。だから、あなたがたにもこのことをはっきり知っていただきたいと、心から願っています。 12 またしても、私たちが自己推薦を始めたと思いますか。そうではありません。ただ、あなたがたを、外見上のりっぱさを誇りながら、実際には、心の中は偽りと不誠実で満ちている人たちに対抗できるようにさせたいのです。あなたがたは、私たちの動機が正しく、しかも誠実である点を誇ることができます。 13-14 自分のことをこのように言うとは、気がおかしくなったのでしょうか。もしおかしくなったとすれば、それは神の栄光のためです。もし正気であるとすれば、あなたがたのためです。私たちは何をするにしても、自分の利益を求めるのではなく、キリストの愛に動かされて行っているのです。キリストが私たちのために死んでくださったことを信じる以上、自分が、今までの古い生活に対して死んだことも信じなければなりません。 15 キリストは全人類のために死んでくださいました。それは、キリストから永遠のいのちをいただいて生きる人がみな、もはや自分を喜ばせるためではなく、自分のために死んで復活されたキリストに喜ばれるように生きるためです。

16 ですから、世間の評判や、外見の良し悪しで、人を評価するのはやめなさい。以前、私は、その誤った考え方で、キリストのことを自分と同じ人間とみなしていました。しかし今では、その考えは一変しました。 17 だれでもクリスチャンになると、内側が全く新しくされます。もはや今までと同じ人間ではありません。新しい人生が始まったのです。 18 この新しい出来事はすべて神から出ています。神様は、キリスト・イエスの働きによって、私たちをご自分のもとに連れ戻してくださいました。そして、この恵みによる神との和解を、すべての人に勧める特権をも、私たちに与えてくださったのです。 19 つまり、キリストによって、この世をご自分と和解させ、その罪を数え立てずに、かえって帳消しにしてくださったのです。これが、人々に伝えるようにと私たちにゆだねられた、すばらしい知らせです。

20 こういうわけで、私たちはキリストの大使です。神様が、私たちの口を通して語りかけてくださるのです。キリストが懇願しておられるかのように、キリストに代わって、あなたがたにお願いします。どうか、差し出された愛を拒まず、神様と和解してください。 21 それは神様が、罪のないキリストに私たちの罪を負わせ、それと引き換えに、私たちに恵みを注いでくださったのですから。

神と共に働く者としてお願いします。神の恵みをむだに受けないように気をつけてください。 神様はこう言われるからです。

「恵みの時に、
あなたの叫びはわたしに届いた。
救いが差し出されている日に、
わたしはあなたを助けた。」イザヤ49・8

まさしく今、神様はあなたを喜び迎えようとしておられます。今日、あなたを救おうとしておられます。

私たちは、自分たちの行動がだれかをつまずかせたり、主との出会いを妨げたりすることがないように、また、主を非難する口実に用いられないように気をつけています。 あらゆる点で、自分がほんとうに神に仕える者であることを示そうと努めているのです。次から次へと襲って来る悩み、苦しみ、困難にも、しんぼう強く耐えています。 むちで打たれたことも、投獄されたことも、怒り狂う暴徒に取り囲まれたこともありました。ある時は力尽きるまで働き、ある時は一睡もせずに夜を明かし、また食べる物のない日もありました。 健全な生活と福音に対する理解と忍耐とによって、自分の口に偽りがないことを証明してきました。いつも親切にし、愛に富み、聖霊に満たされてきました。 何をするにも、神の力に助けられて、真実を貫いてきました。神を敬う人に備わる義の武器を、いつも手にしていました。 人に尊敬されようと軽蔑されようと、あるいは非難されようと賞賛されようと、主への忠誠に変わりはありません。人からはうそつきと呼ばれようと、私たちは正直です。 この世から無視されても、私たちは神に認められています。死に直面しながらも、このとおり生きています。傷つけられたこともありますが、死を免れてきました。 10 心に痛みがありますが、同時に主の喜びも持っています。貧しいように見えても、霊的に多くの人を富ませています。何も持っていなくても、あらゆるものに満たされています。

11 愛するコリント教会の皆さん。私は心にあることをみな、お話ししました。私は心の底から、あなたがたを愛しているのです。 12 今なお私たちの間に冷たい空気があるとしても、私に愛が欠けているせいではありません。あなたがたの愛があまりにも少なくて、私まで届かないのです。 13 今、実の子どもに対するように、あなたがたに話しています。どうか心を開いてください。私たちの愛にこたえてください。

いっさいの悪と縁を切る

14 神を愛していない者の仲間入りをしてはいけません。神の民と罪の民との間に、いったいどんな共通点があるでしょう。光と暗闇とが、どうして共存できるでしょう。 15 キリストと悪魔との間に、何の調和があるでしょう。クリスチャンが、信じていない人とどうして手をつなぐことができましょう。 16 神の宮と偶像との間に、何の一致があるでしょう。あなたがたは神の宮であり、生ける神の住まいなのです。神様はあなたがたについてこう言われました。

「わたしは彼ら(神の民)のうちに住み、
その間を歩む。
わたしは彼らの神となり、
彼らはわたしの民となる。」レビ26・12
17 それゆえ、主はこう言っておられます。
「彼ら(神の民)から立ち去り、縁を切れ。
その汚れたものに触れてはならない。イザヤ52・11
そうすれば、わたしはあなたがたを迎え入れ、
18 あなたがたの父となり、
あなたがたはわたしの息子、娘となる。」ホセア1・10イザヤ43・6