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契約の箱の安置

ソロモン王は、イスラエルの部族や氏族の長をみなエルサレムに集めました。契約の箱を、ダビデの町シオンにある幕屋から、神殿に運び入れるためでした。 この祝典が挙行されたのは十月の仮庵の祭りの時で、 3-4 祭りの間に、祭司たちは契約の箱と、それまで幕屋に置いてあった神聖な器具をすべて神殿に運び入れました。 王とイスラエル国民は契約の箱の前に集まり、数えきれないほどの羊や牛をいけにえとしてささげました。

それから祭司たちは、契約の箱を神殿の奥の至聖所に運び、ケルビムの翼の下に安置しました。 ケルビムの像は、翼が箱の上に来るように設計されていたので、その翼は箱とかつぎ棒を覆いました。 かつぎ棒は長く、先がケルビムの横から突き出ているので、前方の聖所からも見えましたが、外庭からは見えませんでした。現在もそのままです。 箱の中には、二枚の石板しか入っていませんでした。その石板は、主がエジプトを出たイスラエルの民とホレブ山(シナイ山)で契約を結ばれた時、モーセが納めたものです。

10 祭司たちが至聖所から出て来ると、雲が神殿に満ちました。 11 主の栄光が神殿に満ちあふれたので、祭司たちは外に出なければなりませんでした。

12-13 その時、ソロモン王はこう祈りました。「主は、暗闇の中に住むとお語りになりました。そこで主よ。私はあなたの永遠のお住まいとして、地上に美しい家を建てました。」

14 それから、振り向いて民を祝福しました。 15 「イスラエルの神、主をほめたたえよう。主は、今日このように、父ダビデに約束なさったことを成し遂げてくださった。 16 主は父にこうお語りになった。『わたしは民をエジプトから連れ出した時からこれまで、神殿を建てる場所を選ぶことはしなかったが、わたしの民の指導者となる一人の者を選んだ。』 17 それが、父ダビデだ。父は、イスラエルの神、主のために神殿を建てたかった。 18 しかし主はそれをお許しにならず、『あなたの志はうれしい。 19 だが、わたしの神殿を建てるのはあなたの息子だ』と言われた。 20 主は今、お約束を果たしてくださった。私はイスラエルの王として父の跡を継ぎ、こうして、主のために神殿を建て上げることができた。 21 そして、主がエジプトを出た私たちの先祖と結ばれた契約を納めた箱を、神殿の中に置く場所を用意した。」

ソロモンの祈りと神殿の奉献

22-23 王は、人々が見守る中で祭壇の前に立ち、両手を天に差し伸べて祈りました。

「ああ、イスラエルの神、主。天にも地にも、あなたのようなお方はありません。あなたは、心からお従いしようとする民を愛し、約束を守ってくださるからです。 24 今日このとおり、あなたのしもべである父ダビデへの約束を実現してくださいました。 25 イスラエルの神、主よ。どうか、父ダビデとの約束をこれからも果たしてください。父の子孫が、父と同じようにお従いし、主の言われるとおりにするなら、その中の一人がいつもイスラエルの王位につくようにしてください。 26 イスラエルの神よ! どうか、この約束もまた果たしてください。

27 それにしても、神様ははたしてこの地上にお住みになるでしょうか。大空も天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私が建てたこの神殿などなおのことです。 28 けれども、どうか、このしもべの願いをお聞き届けください。 29 確かに住むと約束なさったこの場所を、昼も夜も見守ってください。そして、私がこの神殿に向かって祈る時、昼であっても夜であっても、祈りを聞き、それに答えてください。 30 イスラエルの民が、この場所に向かって祈る時、いつでも願いを聞き届けてください。あなたがお住まいになる天で、その願いを聞き、彼らの罪を赦してください。

31 だれかが何か悪いことをして訴えられた時、この神殿の祭壇の前に立ち、自分はそのようなことはしなかったと誓うなら、 32 天でその訴えを聞き、正しくさばいてください。

33-34 イスラエルの民が罪を犯したため敵に負かされたとき、もし彼らが反省し、もう一度あなたをあがめるなら、天で彼らの願いを聞き、その罪を赦してください。そして、先祖にお与えになった地に、彼らを連れ帰してください。

35-36 彼らの罪が原因で雨が降らないとき、彼らがこの場所に向かって祈り、あなたをあがめるなら、天でその願いを聞き、彼らを赦してください。また、罰を下したあと、正しい道に彼らを引き戻し、あなたがお与えになった地に雨を降らせてください。

37 農作物の立ち枯れや、いなごや油虫の発生によってききんが起こったり、敵が攻めて来たり、また疫病や災害に襲われたり、そのほか、どんな問題が起こった時でも、 38 もし民が罪を悟り、この神殿に向かって祈るなら、 39 天で彼らの祈りを聞き、正直に罪を告白した人々を赦し、願いをかなえてください。あなたは、一人一人の心のうちを知っておられるからです。 40 そうすれば、あなたが私たちの先祖にお与えになった地に生きている限り、彼らはいつもあなたを信じ、お従いするようになるでしょう。

41-42 それから、外国人があなたのすばらしさを聞き、遠い地からはるばる礼拝に来て、この神殿に向かって祈るなら、 43 天で彼らの祈りを聞き、願いをかなえてください。そうすれば、世界中の人が、あなたの民イスラエルと同じようにあなたの御名を知り、信じてお従いするようになるでしょう。こうして全世界は、これがあなたの神殿であることを知るでしょう。

44 イスラエルの民があなたの命で戦いに遣わされるとき、あなたがお選びになった町エルサレム、私があなたのために建てたこの神殿に向かって祈るなら、 45 天で彼らの祈りを聞き、彼らを助けてください。

46 罪を犯さない人間などいませんから、あなたに罪を犯し、あなたのお怒りをこうむって、外国に捕虜として連れて行かれることもあるでしょう。 47 そのようなとき、『私たちが悪かった』と反省して、 48 心からあなたに立ち返り、あなたが先祖にお与えになった地、あなたがお選びになったエルサレムの町、私が御名のために建てたこの神殿に向かって祈るなら、 49 お住まいである天で彼らの祈りと願いとを聞き、助けの手を差し伸べてください。

50 あなたの民の悪事をみな赦し、彼らを捕らえた者にあわれみの心を起こさせてください。 51 彼らは、あなたがエジプトから連れ出された大切な民だからです。 52 どうか、御目を開き、御耳を傾けて、彼らの願いを聞き届けてください。ああ主よ。彼らが祈り求める時、いつも願い事をかなえてください。 53 あなたが私たちの先祖をエジプトから連れ出された時、しもべモーセにお告げになったとおり、全世界の民の中からイスラエルを選び出し、特別な民としてくださったからです。」

54-55 ソロモンは両手を天に伸ばしたまま、ひざまずいて祈っていました。祈り終えると、祭壇の前から立ち上がり、全会衆を大声で祝福しました。 56 「イスラエルの主をほめたたえます。主は約束どおり、ご自分の民イスラエルに安息をお与えになりました。しもべモーセによって示された、すばらしい約束のすべてが、一つもたがわず実現したのです。 57 どうか、主が先祖たちとともにおられたように、私たちをも見捨てず、共にいてくださいますように。 58 私たちがすべてのことで主をお喜ばせし、先祖たちにお与えになった教えをみな守ろうという願いを起こさせてください。 59 この祈りを、いつも覚えていてください。こうして、毎日、何かあるたびに、私とイスラエルの全国民を助けてくださいますように。 60 世界中の国々が、あなたのほかに神はいないことを知るためです。 61 私の民よ。あなたがたは主の前で、正しく、きよい生活を送らなければなりません。今日のように、いつも主の教えを守らなければなりません。」

62-63 それから王と民は、主の前にいけにえをささげました。この時ささげた和解のいけにえは、なんと牛二万二千頭、羊とやぎ十二万頭にものぼりました。 64 その日、臨時の計らいとして、王は神殿の前の庭をきよめ、そこで焼き尽くすいけにえと、穀物の供え物、それに和解のいけにえの脂肪をささげました。青銅の祭壇は、おびただしいいけにえを載せるには小さすぎたからです。 65 こうして、祝典は十四日間続き、イスラエル中から人々が集まりました。 66 祭りのあと、王は人々を家に帰しました。民はみな、主がしもべダビデとその民イスラエルにお示しになった多くの恵みを喜び、王に祝福のことばを述べて、それぞれの天幕に帰って行きました。

神殿の完成と契約の箱の安置

こうして、ついに神殿が完成しました。そこでソロモン王は、父ダビデが主にささげたものを神殿の宝物倉に納めました。

王はイスラエルの部族と氏族の長を全員エルサレムに召集し、契約の箱を、シオンと呼ばれるダビデの町の幕屋から新しい神殿に移しました。 契約の箱の移動は、恒例の十月の仮庵の祭り(収穫を祝う祭り。ユダヤ人の三大祭の一つ)の日に行われました。 4-5 イスラエルの指導者たちが見守る中で、レビ人が箱をかつぎ上げ、そのほかのきよい器具とともに運び出したのです。 王をはじめ人々は、箱の前で羊や牛をいけにえにささげましたが、その数はあまりに多く、数えることができませんでした。

7-8 それから祭司たちは、箱を神殿の奥の至聖所に運び入れ、ケルビムの翼の下に置きました。翼は、箱とかつぎ棒を覆うような形で広がっていました。 そのかつぎ棒は長かったので、先端が前の部屋からは見えましたが、外からは見えませんでした。契約の箱は、この書が書かれている今日も、なおそこにあります。 10 箱の中には、二枚の石板のほかは何もありませんでした。その石板は、主がエジプトを出たイスラエルの民と契約を結ばれた時、モーセがホレブ山(シナイ山)で箱に納めたものです。

11-12 祭司たちはきよめの儀式をすませ、ふだんの務めとは関係なく、全員が式に参加しました。レビ人たちは、祭司たちが至聖所から出て来ると、すばらしい声で主を賛美しました。歌い手はアサフ、ヘマン、エドトンはじめ、その子らと兄弟たちで、全員が純白の美しい亜麻布をまとい、祭壇の東側に立っていました。合唱隊には、ラッパを吹く百二十人の祭司のほか、シンバルや琴や竪琴の演奏者が加わりました。 13-14 合唱隊と演奏隊は一つとなって、「主はなんとすばらしい方! そのいつくしみはとこしえまで!」と主を賛美し、感謝をささげました。すると、主の栄光がまぶしく光る雲となって神殿を包んだので、祭司たちはその務めを果たすことができなくなりました。

99 全世界の王、主は、
ケルビムの上の王座に
ついておられます。
諸国民は震え上がり、大地は揺らぎますように。
シオンに立たれる主のご威光は、
この世の支配者たちには、はるかに及ばないものです。
どうか彼らが、きよく偉大な主の御名を、
恐れかしこみますように。
公正なさばきを行うこと、
それこそが、この絶大な王の統治の基です。
イスラエル中に正しい判決が下ります。
聖なる神である主をあがめ、
その足もとにひれ伏しなさい。

預言者モーセとアロン、それにサムエルが
助けを呼び求めた時、主はお答えになりました。
雲の柱の中から響いてくる声に、
彼らは従順に従いました。
神である主よ。あなたは、人々の祈りに答えて
罪をお赦しになりましたが、
その誤った行為に対しては、
厳然として罰を下されました。
私たちの神である主をあがめ、
エルサレムの聖なる山で礼拝しなさい。
神である主はきよいお方なのです。

信仰によってのみ救われる

では、ユダヤ人であることに、どういう利点があるのでしょう。彼らには何か特典があるのでしょうか。ユダヤ人の割礼にどんな益があるのでしょうか。 もちろん、ユダヤ人であることには多くの利点があります。まず第一に、神はユダヤ人にご自分のことばをおゆだねになりました。それは、彼らに神の御心を知らせ、それを実行させるためでした。 確かに、ユダヤ人の中には不忠実な者がいました。しかし、一部の不忠実な者が神との約束を破ったからといって、神も約束を破られるでしょうか。 絶対にそんなことはありません。たとえ世界中の人がうそつきでも、神は真実な方です。このことについて詩篇には、「神のことばに誤りはない。だれが疑いを差しはさもうと、いつも真実で正しい」と書いてあります。 ところが、こんなふうに主張する人がいます。「でも、私たちの神に対する不忠実は、むしろよかったのではないか。人々は、私たちがどんなに悪い人間であるかを見て、神がどんなに正しい方であるかに気づくだろうから。」すると、彼らの罪が神の役に立っているのに、罰せられるのは不公平だということになるのでしょうか。 それは全く違います。罪を見過ごすような神があるでしょうか。そんなことで、神はどうして人をさばくことがおできになるでしょう。 もし、私がうそをついたとします。それによって神の真実がはっきりと際立ち、私の不真実が、かえって神の栄光を輝かしたとしたら、神は私を罪人としてさばくことなどできなくなってしまいます。 このような論理を突きつめていくと、最後には、「私たちが悪ければ悪いほど、神には好都合だ」ということになるのです。もちろん、こんなことを言う人がきびしく罰せられるのは当然です。ところが、事もあろうに、私がそのように説教していると言う人々がいるのです。

それでは、私たちユダヤ人は、ほかの人々よりすぐれているのでしょうか。決してそんなことはありません。すでに指摘したように、ユダヤ人であろうと外国人であろうと、みな同様に罪人です。 10 聖書に、次のように書いてあるとおりです。

「正しい人は一人もいない。
罪のない人は世界中に一人もいない。
11 真実に神の道に従って歩んだ人は
かつて一人もいない。
そうしたいと心から願った人さえいない。
12 すべての人が道を踏みはずし、
みな、まちがった方向に進んで行った。
正しいことをずっと行ってきた人は
どこにもいない。一人もいない。」詩篇14・1-3
13 「彼らの会話は、不潔で腐っており、
まるで開いた墓穴からもれる悪臭のようだ。
彼らの舌はうそで固められている。」詩篇5・9
「彼らのことばには、
恐ろしい毒蛇のような毒がある。」詩篇140・3
14 「彼らの口は、
のろいと苦々しいことばで満ちている。」詩篇10・7
15 「彼らは自分と意見の合わない人を憎み、
すぐに殺す。
16 彼らの行く所ではどこででも、
悲惨な結果とめんどうな問題があとを絶たない。
17 彼らは一度も心の安らぎを感じたことがなく、
神の祝福を味わったこともない。」イザヤ59・7-8
18 「彼らには、
神を恐れて悪事から遠ざかろうとする気持ちなど、
少しもない。」詩篇36・1

19 そういうわけで、律法がユダヤ人に重くのしかかっています。なぜなら、彼らは律法を守る責任があるのに守らず、こうした悪にふけっているからです。彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。事実、全世界が全能の神の前に沈黙して立ち、罪の宣告を受けているのです。 20 おわかりでしょうか。律法の命じることを行って、神に正しい者と認められようとしてもむだです。私たちは律法を深く知れば知るほど、自分が従っていないことが明らかになるのです。律法は私たちに、自分が罪人であることを自覚させるのです。

21-22 しかし今、神は、別の救いの道を示してくださいました。その新しい道は、「善人になる」とか、律法を守ろうと努力するような道ではありません。神は今、「もしあなたがたがイエス・キリストを信じるなら、あなたがたを受け入れ、罪のない者と宣言する」と言われます。どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じるという、この方法によって救われるのです。 23 すべての人は罪を犯したので、神の標準にはほど遠い存在です。 24 けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じるなら、このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるのです。 25 神はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪に対する償いをさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。神は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリストの血と私たちの信仰とを用いられました。たとえ、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神は完全に公正であられるのです。キリストが来て人々の罪を取り除く時を、神は待ち望んでおられました。 26 そして今日も、神はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。イエスが彼らを、義と認めてくださるためです。

しかし、このように罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神の公正なやり方に反するのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。なぜなら彼らが、自分の罪を帳消しにしてくださったイエスを信じたという事実に基づいて、神はそうなさるからです。 27 それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。何もしていません。なぜでしょう。私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。それは、キリストが成し遂げてくださったことと、キリストに対する私たちの信仰に基づいているのです。 28 つまり、私たちが救われるのは、キリストを信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではないのですから。 29 神はこの方法で、ユダヤ人だけをお救いになるのでしょうか。いいえ、それ以外の外国人も、同じようにして神のもとに行くことができます。 30 神はすべての人を全く平等に扱われます。ユダヤ人であろうと外国人であろうと、人はみな、信仰によって救われて正しい者とされるのです。

31 それでは、信仰によって救われるのなら、もはや律法に従う必要はないことになるのでしょうか。いや、全く違います。私たちはイエスを信じてこそ、ほんとうに神の命令に従うことができるのです。