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ギデオンの追撃

ところが、エフライム人の指導者たちはギデオンに詰め寄り、激しく彼を責めました。「ミデヤン人との初陣で、なぜわれわれに声をかけてくれなかったのだ。」

2-3 「あなたがたには、神様がちゃんと、ミデヤンの将軍オレブとゼエブを捕らえさせてくださったではないですか。それに比べたら私のしたことなど取るに足りません。この戦いの最後を飾ったのはあなたがたですよ。そのほうが、戦いをしかけるよりも大仕事だったのではありませんか。」ギデオンの答えに、彼らはようやく怒りを収めました。

それから、ギデオンと三百人の兵士はヨルダン川を渡りました。かなり疲れていましたが、追撃の手はゆるめません。 ギデオンは、スコテの人々に食べ物をくれるよう頼みました。「われわれは、ミデヤン人の王ゼバフとツァルムナを追いかけているが、くたくたのうえ空腹なんです。」

しかし、スコテの指導者たちからは冷淡な返事が戻ってきただけでした。「まだゼバフとツァルムナを捕らえたわけではないだろう。食べ物を恵んだのに負けられでもしたら大変なことになる。あいつらはここへ来て、われわれを殺すに違いないから。」

そこでギデオンは、こう警告しました。「主が二人を捕らえさせてくださったあかつきには、ここに戻って来て、野のいばらやとげで、おまえたちの身を引き裂いてくれよう。」

それからペヌエルに上り、食糧を求めたところ、ここでも同じ返事でした。 そこで、ギデオンはペヌエルの人々にも警告しました。「この戦いに決着がついたら、戻って来てこのやぐらをたたき壊してやる。」

10 そのころゼバフ王とツァルムナ王は、残りの兵一万五千とともにカルコルにたてこもっていました。これが生き残ったすべてで、すでに連合軍の兵士は十二万人が戦死していたのです。 11 ギデオンは、ノバフとヨグボハの東にある隊商路を迂回して、ミデヤンの陣営を急襲しました。 12 二人の王は逃げ出しましたが、ギデオンが追いかけて捕らえたので、敵軍は総くずれとなりました。

13 戦いがすんで、ギデオンはヘレスの坂道を通って帰路につきましたが、 14 その時、スコテから一人の若者を捕らえて来て、町の七十七名の名前を挙げさせました。 15 そこで、ギデオンはスコテに取って返し、こう言いました。「よくも、ゼバフ王やツァルムナ王を捕らえられないだろうとあざけってくれたな。それに、疲れて空腹をかかえていたわれわれに、パン一つ与えなかった。よく見るがいい。これがゼバフとツァルムナだ。」

16 ギデオンは町の重要人物を捕らえ、野生のいばらやとげを取って彼らを打ち、 17 またペヌエルにも赴いて町のやぐらを破壊し、男子全員を殺しました。

18 それからギデオンは、ゼバフ王とツァルムナ王に問いただしました。「おまえたちがタボル山で殺した者たちはだれに似ていたか。」

「あなたと同じような服を着ていました。まるで王子のようでした。」

19 「ああ、私の兄弟に違いない。誓ってもいい。彼らを殺さずにいてくれたら、おまえたちを助けてやったのに。」

20 ギデオンは長男エテルに、二人を殺すように命じました。しかし、エテルはまだ少年だったので、恐ろしくて剣を抜くことができません。 21 ゼバフとツァルムナはギデオンに懇願しました。「あなた自身が手を下してください。われわれも、あなたのような大人に殺されたほうがいい。」そこで、ギデオンがとどめを刺し、二人のらくだの首にかけてあった飾りをはずしました。

22 その時、イスラエルの人々は叫びました。「ばんざい!あなたもご子息も、子々孫々に至るまで私たちを治めてください。あなたが私たちをミデヤン人からお救いくださったのですから。」

23-24 しかし、ギデオンは答えました。「私は王にはならない。息子もそうだ。主があなたがたを治める王だ。そこで、一つ聞いてほしいことがある。敵から分捕った耳輪を私に渡してもらえないか。」ミデヤン軍はイシュマエル人だったので、金の耳輪をつけていたのです。

25 「喜んで」と彼らは答え、上着を広げると、一人一人、分捕り物の耳輪を投げ込みました。 26 集まった金の耳輪は全部で千七百シェケル(約二十キログラム)にも上りました。このほかにも、投げ込まれた三日月形の飾り、垂れ飾り、王衣、らくだの首飾りなどがありました。 27 ギデオンはそれらの金で、エポデ〔そでなしの上着。普通は祭司が着るが、ここでは金の装飾がついて重く、壁にかけた〕を作り、自分の町オフラに置きました。ところが、イスラエル人はみな、それを拝んで淫行にふけるようになり、ギデオンとその一族にとって悪への落とし穴となりました。

28 以上が、ミデヤン人がイスラエル人に屈服するに至った経過です。ミデヤン人は二度と立ち直れず、ギデオンが生きている四十年間は、イスラエルに平和が続きました。

ギデオンの死

29 ギデオンは自分の家に帰ってそこに住みました。 30 彼には息子が七十人もいました。大ぜいの妻がいたからです。 31 また、シェケムにも内縁の妻が一人おり、アビメレクという男の子がいました。 32 年老いたギデオンはついに世を去り、アビエゼル人の地オフラにある、父ヨアシュの墓に葬られました。

33 ギデオン亡きあと、イスラエル人はたちまちバアルやバアル・ベリテの偶像崇拝に陥りました。 34 周囲のすべての敵から救い出してくださった彼らの神、主を、もう心に留めようとはしなかったのです。 35 人々はギデオンの数々の功績を忘れ、その一族を手厚く待遇することも怠りました。

ギデオンの追撃

ところが、エフライム人の指導者たちはギデオンに詰め寄り、激しく彼を責めました。「ミデヤン人との初陣で、なぜわれわれに声をかけてくれなかったのだ。」

2-3 「あなたがたには、神様がちゃんと、ミデヤンの将軍オレブとゼエブを捕らえさせてくださったではないですか。それに比べたら私のしたことなど取るに足りません。この戦いの最後を飾ったのはあなたがたですよ。そのほうが、戦いをしかけるよりも大仕事だったのではありませんか。」ギデオンの答えに、彼らはようやく怒りを収めました。

それから、ギデオンと三百人の兵士はヨルダン川を渡りました。かなり疲れていましたが、追撃の手はゆるめません。 ギデオンは、スコテの人々に食べ物をくれるよう頼みました。「われわれは、ミデヤン人の王ゼバフとツァルムナを追いかけているが、くたくたのうえ空腹なんです。」

しかし、スコテの指導者たちからは冷淡な返事が戻ってきただけでした。「まだゼバフとツァルムナを捕らえたわけではないだろう。食べ物を恵んだのに負けられでもしたら大変なことになる。あいつらはここへ来て、われわれを殺すに違いないから。」

そこでギデオンは、こう警告しました。「主が二人を捕らえさせてくださったあかつきには、ここに戻って来て、野のいばらやとげで、おまえたちの身を引き裂いてくれよう。」

それからペヌエルに上り、食糧を求めたところ、ここでも同じ返事でした。 そこで、ギデオンはペヌエルの人々にも警告しました。「この戦いに決着がついたら、戻って来てこのやぐらをたたき壊してやる。」

10 そのころゼバフ王とツァルムナ王は、残りの兵一万五千とともにカルコルにたてこもっていました。これが生き残ったすべてで、すでに連合軍の兵士は十二万人が戦死していたのです。 11 ギデオンは、ノバフとヨグボハの東にある隊商路を迂回して、ミデヤンの陣営を急襲しました。 12 二人の王は逃げ出しましたが、ギデオンが追いかけて捕らえたので、敵軍は総くずれとなりました。

13 戦いがすんで、ギデオンはヘレスの坂道を通って帰路につきましたが、 14 その時、スコテから一人の若者を捕らえて来て、町の七十七名の名前を挙げさせました。 15 そこで、ギデオンはスコテに取って返し、こう言いました。「よくも、ゼバフ王やツァルムナ王を捕らえられないだろうとあざけってくれたな。それに、疲れて空腹をかかえていたわれわれに、パン一つ与えなかった。よく見るがいい。これがゼバフとツァルムナだ。」

16 ギデオンは町の重要人物を捕らえ、野生のいばらやとげを取って彼らを打ち、 17 またペヌエルにも赴いて町のやぐらを破壊し、男子全員を殺しました。

18 それからギデオンは、ゼバフ王とツァルムナ王に問いただしました。「おまえたちがタボル山で殺した者たちはだれに似ていたか。」

「あなたと同じような服を着ていました。まるで王子のようでした。」

19 「ああ、私の兄弟に違いない。誓ってもいい。彼らを殺さずにいてくれたら、おまえたちを助けてやったのに。」

20 ギデオンは長男エテルに、二人を殺すように命じました。しかし、エテルはまだ少年だったので、恐ろしくて剣を抜くことができません。 21 ゼバフとツァルムナはギデオンに懇願しました。「あなた自身が手を下してください。われわれも、あなたのような大人に殺されたほうがいい。」そこで、ギデオンがとどめを刺し、二人のらくだの首にかけてあった飾りをはずしました。

22 その時、イスラエルの人々は叫びました。「ばんざい!あなたもご子息も、子々孫々に至るまで私たちを治めてください。あなたが私たちをミデヤン人からお救いくださったのですから。」

23-24 しかし、ギデオンは答えました。「私は王にはならない。息子もそうだ。主があなたがたを治める王だ。そこで、一つ聞いてほしいことがある。敵から分捕った耳輪を私に渡してもらえないか。」ミデヤン軍はイシュマエル人だったので、金の耳輪をつけていたのです。

25 「喜んで」と彼らは答え、上着を広げると、一人一人、分捕り物の耳輪を投げ込みました。 26 集まった金の耳輪は全部で千七百シェケル(約二十キログラム)にも上りました。このほかにも、投げ込まれた三日月形の飾り、垂れ飾り、王衣、らくだの首飾りなどがありました。 27 ギデオンはそれらの金で、エポデ〔そでなしの上着。普通は祭司が着るが、ここでは金の装飾がついて重く、壁にかけた〕を作り、自分の町オフラに置きました。ところが、イスラエル人はみな、それを拝んで淫行にふけるようになり、ギデオンとその一族にとって悪への落とし穴となりました。

28 以上が、ミデヤン人がイスラエル人に屈服するに至った経過です。ミデヤン人は二度と立ち直れず、ギデオンが生きている四十年間は、イスラエルに平和が続きました。

ギデオンの死

29 ギデオンは自分の家に帰ってそこに住みました。 30 彼には息子が七十人もいました。大ぜいの妻がいたからです。 31 また、シェケムにも内縁の妻が一人おり、アビメレクという男の子がいました。 32 年老いたギデオンはついに世を去り、アビエゼル人の地オフラにある、父ヨアシュの墓に葬られました。

33 ギデオン亡きあと、イスラエル人はたちまちバアルやバアル・ベリテの偶像崇拝に陥りました。 34 周囲のすべての敵から救い出してくださった彼らの神、主を、もう心に留めようとはしなかったのです。 35 人々はギデオンの数々の功績を忘れ、その一族を手厚く待遇することも怠りました。

42 ああ神よ。鹿が水をあえぎ求めるように、
私はあなたを慕い求めます。
焼けつくような渇きを覚えながら、
私は、生きておられる神を求めています。
どこへ行けば、お目にかかれるのでしょうか。
昼も夜も涙にむせびながら、
神の助けを祈っています。
かたわらでは敵が、
「おまえの神はどこへ行った」とあざけるのです。
4-5 さあ、私のたましいよ、元気を出せ。
あの日のことを思い出すのだ。
まさか忘れてはいないだろう。
あの祭りの日、多くの人の先頭に立って神の宮に上り、
喜びに満たされて賛美の歌を歌ったことを。
どうしてそのように沈み込む必要があるのか。
どうして悲しげにふさぎ込んでいるのか。
神に望みを託すがよい。
そうだ、助けを信じて、
もう一度神をほめたたえよう。

それでもなお、私は気落ちし、ふさぎ込んでいます。
しかし、やがて私は、ヨルダン川が流れ、
ヘルモン山やミツァル山のそびえる美しいこの地に
注がれている、神の恵みを思い巡らします。
神のさかまく大波が私の頭上を越え、
悲しみの洪水が、とどろく大滝のように
降りかかってきます。
しかし主は
日ごとに変わらない愛を注いでくださいます。
私は夜通し賛美の歌を歌い、
このいのちを授けてくださった神に祈りをささげます。
「ああ、岩なる神よ」と、私は叫びます。
「なぜ、私をお見捨てになったのですか。
なぜ、私は敵の攻撃にさらされて、
こんなにも苦しまなければならないのですか。」
10 人のあざけりがこの身を突き刺し、
深い傷を負わせます。
彼らは、「おまえの神はいったいどこへ行った」と
あざ笑います。
11 しかし、私のたましいよ、
気落ちするな。動転するな。
神に期待せよ。
神がすばらしいことをしてくださり、
私はきっと賛嘆の声を上げるのだから。
このお方こそ、私の命綱、私の神。

42 ああ神よ。鹿が水をあえぎ求めるように、
私はあなたを慕い求めます。
焼けつくような渇きを覚えながら、
私は、生きておられる神を求めています。
どこへ行けば、お目にかかれるのでしょうか。
昼も夜も涙にむせびながら、
神の助けを祈っています。
かたわらでは敵が、
「おまえの神はどこへ行った」とあざけるのです。
4-5 さあ、私のたましいよ、元気を出せ。
あの日のことを思い出すのだ。
まさか忘れてはいないだろう。
あの祭りの日、多くの人の先頭に立って神の宮に上り、
喜びに満たされて賛美の歌を歌ったことを。
どうしてそのように沈み込む必要があるのか。
どうして悲しげにふさぎ込んでいるのか。
神に望みを託すがよい。
そうだ、助けを信じて、
もう一度神をほめたたえよう。

それでもなお、私は気落ちし、ふさぎ込んでいます。
しかし、やがて私は、ヨルダン川が流れ、
ヘルモン山やミツァル山のそびえる美しいこの地に
注がれている、神の恵みを思い巡らします。
神のさかまく大波が私の頭上を越え、
悲しみの洪水が、とどろく大滝のように
降りかかってきます。
しかし主は
日ごとに変わらない愛を注いでくださいます。
私は夜通し賛美の歌を歌い、
このいのちを授けてくださった神に祈りをささげます。
「ああ、岩なる神よ」と、私は叫びます。
「なぜ、私をお見捨てになったのですか。
なぜ、私は敵の攻撃にさらされて、
こんなにも苦しまなければならないのですか。」
10 人のあざけりがこの身を突き刺し、
深い傷を負わせます。
彼らは、「おまえの神はいったいどこへ行った」と
あざ笑います。
11 しかし、私のたましいよ、
気落ちするな。動転するな。
神に期待せよ。
神がすばらしいことをしてくださり、
私はきっと賛嘆の声を上げるのだから。
このお方こそ、私の命綱、私の神。

福音の中心点

15 さて、皆さん。福音とは何なのかを思い出してほしいのです。それは、以前あなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが喜んで受け入れたものです。そして、あなたがたの信仰は、そこに根ざしているのです。 もし初めにいい加減な気持ちで信じたのでなく、今もなお堅く信じているのなら、この福音は、あなたがたを救ってくれるのです。

まず私は最も大切なこととして、かつて自分も知らされた、次のことを伝えました。すなわち、キリストは、聖書に記されているとおり、私たちの罪のために死なれ、 葬られたこと、そして預言者たちの語ったとおりに、三日目に復活されたことです。 また、キリストはペテロに姿を現し、そのあと十二弟子の残りの者にも現れました。

さらには、五百人以上のクリスチャンにも姿をお見せになったのです。その中の何人かはもう死にましたが、大部分は今も健在です。 それから、キリストはヤコブ(主イエスの兄弟)に、そして使徒たち全員に現れました。 そして最後に、信仰の未熟児のような私の前にも現れてくださったのです。 私は、使徒の中では一番小さな者であり、使徒と呼ばれる資格さえない者です。神の教会の迫害者だったのですから。 10 今の私があるのは、あふれるほどに注がれた神の恵みとあわれみによるのです。この恵みとあわれみは、むだではありませんでした。なぜなら、私はほかのどの使徒たちよりも働いてきたからです。けれども、実際に働いたのは私ではなく、私のうちにある神の恵みです。 11 よく働いたのが、私であろうとだれであろうと、そんなことは問題ではありません。大切なのは、私たちが福音を宣べ伝え、あなたがたがそれを信じたという事実です。

12 しかし、これだけは言わせてください。私たちが伝えたとおり、あなたがたが、キリストの死からの復活を信じているのなら、なぜ、「死んだ者は二度と生き返らない」と言ったりする人が出るのですか。 13 もし死者の復活がないなら、キリストは今も死んだままのはずです。 14 もしそれが事実なら、私たちが宣べ伝えていることは無意味であり、あなたがたの信仰も価値のないものとなるのです。 15 そして、私たちは、大うそつきということになります。なぜなら、もし死者の復活がないのなら、神はキリストを復活させることはなかったはずですが、私たちは、「神がキリストを墓からよみがえらせた」と主張しているからです。 16 もし死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったでしょう。 17 そして、もしキリストが復活しなかったのなら、信仰はむなしく、あなたがたは今も罪の中にいるのです。 18 また、すでに死んだクリスチャンは、みな滅んでしまったことになります。 19 もしクリスチャンであることが、この世の生活でしか価値がないのなら、私たちほどみじめな者はありません。

20 しかし、事実、キリストは死者の中から復活しました。そして、復活が約束されているすべての人の初穂(その年の収穫の最初の束)となられたのです。 21 一人の人(アダム)の行為によって、死がこの世に入って来ました。そして、このもう一人の人(キリスト)の行為によって、死者の復活が入って来たのです。 22 罪深いアダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるのです。 23 ただし、その順番があります。最初にキリストが復活なさいました。次に、キリストが帰って来られる時に、キリストに属する全員が復活します。 24 そのあとで、終わりが来ます。その時、キリストはあらゆる敵を滅ぼし、この世界を父なる神にお渡しになります。

25 王としてキリストが支配なさるのは、敵を全滅させる時までだからです。 26 その敵の中には、究極の敵である死も入っています。死もまた滅ぼされなければならないのです。 27 というのは、キリストには、すべてのものを支配する権威が、父なる神から授けられているからです。ただ、すべてのものと言っても、この支配権をお授けになった父なる神だけは、もちろんキリストの支配下に含まれません。 28 キリストはあらゆる敵との戦いに勝利を収めると、神の子として、ご自分を父なる神の支配におゆだねになります。それは、子にすべてを征服する力をお授けになった神様が、最高の存在となられるためです。

29 もし死者の復活がないのなら、死んだ人のためにバプテスマ(洗礼)を受けることには何の意味があるのですか。将来の死者の復活を信じてもいないのに、どうしてそんなことをするのでしょう。 30 また、なぜ私たちは、いつも死に直面し、いのちの危険にさらされるのに甘んじているのでしょうか。 31 事実、私は毎日、死に直面しています。このことは、あなたがたの主にある成長を私が誇るのと同じように、確かなことです。 32 もし私が、この地上の生涯のためにエペソでの苦難と戦ったのだとしたら、どれだけの価値があったでしょう。死後の復活などありえないのなら、「どうせ明日は死ぬ身だ。大いに飲み食いして、愉快に過ごそう」ということになります。 33 そういう人たちにだまされてはいけません。それに耳を傾けていると、同じ状態に陥ってしまいます。 34 目を覚まして、罪を犯すのをやめなさい。あなたがたが恥じ入るためにあえて言いますが、あなたがたの中には、神について実際には何も知らない人がいます。

復活の新しい体とは?

35 しかし、こう聞く人もいるでしょう。「死んだ人は、どのように復活するのですか。どんな体になるのですか。」 36 なんと愚かな質問でしょう。畑を見ればわかるではありませんか。まいた種は、まず死ななければ芽を出しません。 37 そして、その種から出る緑の芽は、初めの種とは全く別物です。土にまくのは、麦でも何でも、干からびた小さな種粒です。 38 ところが神様は、その種に、それぞれにふさわしい、美しく新しい体を与えてくださいます。それで、いろいろな種類の種から、それぞれ植物が成長してくるのです。 39 いろいろな種類の種や植物があるように、肉にもいろいろな種類があります。人間、獣、鳥、魚の肉は、それぞれみな異なっています。 40 天使は、私たちとは全く異なった体を持っています。その美しさや栄光は、人間の体の美しさや栄光とは異なっています。 41 太陽には太陽の栄光があり、月や星には別の栄光があります。一つ一つの星にも、美しさや輝きに違いがあります。

42 同じように、死んだら朽ち果てる、私たちの地上の体は、復活の時に与えられる体とは異なったものです。復活の体は決して死にません。 43 いま持っている体は、病気や死で私たちを悩ませます。しかし復活の時には、それは栄光に満ちたものとなるのです。確かに、今は死ぬべき弱い体ですが、復活の時には力にあふれた体となるのです。 44 そして、今は死ぬべき人間の肉体にすぎませんが、復活の時には、神から与えられる霊の体になります。自然のままの肉体があるように、神からの霊の体も存在するのです。 45 聖書には、「最初の人アダムは、生きたものとなった」創世2・7と書いてありますが、キリストは、いのちを与える方となられたのです。 46 初めはこのような体をまとっている私たちも、後には、霊の体を与えられます。 47 アダムは地上の土から造られた者ですが、キリストは天から来られた方です。 48 人間はだれでも、アダムと同じ土の体を持っています。しかし、キリストのものとなった人はみな、キリストと同じ、天から与えられる体を持つようになるのです。 49 今アダムと同じ体を持っている私たちは、そのように、いつの日かキリストと同じ体を持つのです。

50 愛する皆さん。念を押して言います。地上の、血と肉の体は、神の国から閉め出されます。今の私たちの体は死ぬべきもので、永遠に生きることはできません。 51 ここであなたがたに、驚くべき神の奥義を告げましょう。私たちはみな、新しい栄光の体をいただくのです。 52 終わりのラッパが鳴り渡る時、一瞬のうちにそうなるのです。天からラッパの音が響くと、死んでいたすべてのクリスチャンは、たちまち朽ちない新しい体に復活します。次に、まだ生き残っている者もまた、一瞬にして新しい体に変わるのです。 53 なぜなら、地上の死ぬべき今の体は、天上の決して死ぬことのない、永遠に生きる体に変えられなければならないからです。 54 この時、「死は勝利にのみ込まれた」イザヤ25・8という聖書のことばが現実となるのです。 55-56 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」ホセア13・14罪、すなわち死をもたらすとげは、ことごとく切り取られます。そして、罪をあばく律法も、もはや私たちをさばきません。 57 これらのことを、どう神に感謝したらよいでしょう。神様は、主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださるのです。 58 愛する皆さん。このように将来の勝利は確実なのですから、しっかり立って、動揺することなく、いつも、主の働きに熱心に励みなさい。なぜなら、復活は確かであり、主のための働きが決してむだに終わらないことを、あなたがたは知っているからです。

福音の中心点

15 さて、皆さん。福音とは何なのかを思い出してほしいのです。それは、以前あなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが喜んで受け入れたものです。そして、あなたがたの信仰は、そこに根ざしているのです。 もし初めにいい加減な気持ちで信じたのでなく、今もなお堅く信じているのなら、この福音は、あなたがたを救ってくれるのです。

まず私は最も大切なこととして、かつて自分も知らされた、次のことを伝えました。すなわち、キリストは、聖書に記されているとおり、私たちの罪のために死なれ、 葬られたこと、そして預言者たちの語ったとおりに、三日目に復活されたことです。 また、キリストはペテロに姿を現し、そのあと十二弟子の残りの者にも現れました。

さらには、五百人以上のクリスチャンにも姿をお見せになったのです。その中の何人かはもう死にましたが、大部分は今も健在です。 それから、キリストはヤコブ(主イエスの兄弟)に、そして使徒たち全員に現れました。 そして最後に、信仰の未熟児のような私の前にも現れてくださったのです。 私は、使徒の中では一番小さな者であり、使徒と呼ばれる資格さえない者です。神の教会の迫害者だったのですから。 10 今の私があるのは、あふれるほどに注がれた神の恵みとあわれみによるのです。この恵みとあわれみは、むだではありませんでした。なぜなら、私はほかのどの使徒たちよりも働いてきたからです。けれども、実際に働いたのは私ではなく、私のうちにある神の恵みです。 11 よく働いたのが、私であろうとだれであろうと、そんなことは問題ではありません。大切なのは、私たちが福音を宣べ伝え、あなたがたがそれを信じたという事実です。

12 しかし、これだけは言わせてください。私たちが伝えたとおり、あなたがたが、キリストの死からの復活を信じているのなら、なぜ、「死んだ者は二度と生き返らない」と言ったりする人が出るのですか。 13 もし死者の復活がないなら、キリストは今も死んだままのはずです。 14 もしそれが事実なら、私たちが宣べ伝えていることは無意味であり、あなたがたの信仰も価値のないものとなるのです。 15 そして、私たちは、大うそつきということになります。なぜなら、もし死者の復活がないのなら、神はキリストを復活させることはなかったはずですが、私たちは、「神がキリストを墓からよみがえらせた」と主張しているからです。 16 もし死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったでしょう。 17 そして、もしキリストが復活しなかったのなら、信仰はむなしく、あなたがたは今も罪の中にいるのです。 18 また、すでに死んだクリスチャンは、みな滅んでしまったことになります。 19 もしクリスチャンであることが、この世の生活でしか価値がないのなら、私たちほどみじめな者はありません。

20 しかし、事実、キリストは死者の中から復活しました。そして、復活が約束されているすべての人の初穂(その年の収穫の最初の束)となられたのです。 21 一人の人(アダム)の行為によって、死がこの世に入って来ました。そして、このもう一人の人(キリスト)の行為によって、死者の復活が入って来たのです。 22 罪深いアダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるのです。 23 ただし、その順番があります。最初にキリストが復活なさいました。次に、キリストが帰って来られる時に、キリストに属する全員が復活します。 24 そのあとで、終わりが来ます。その時、キリストはあらゆる敵を滅ぼし、この世界を父なる神にお渡しになります。

25 王としてキリストが支配なさるのは、敵を全滅させる時までだからです。 26 その敵の中には、究極の敵である死も入っています。死もまた滅ぼされなければならないのです。 27 というのは、キリストには、すべてのものを支配する権威が、父なる神から授けられているからです。ただ、すべてのものと言っても、この支配権をお授けになった父なる神だけは、もちろんキリストの支配下に含まれません。 28 キリストはあらゆる敵との戦いに勝利を収めると、神の子として、ご自分を父なる神の支配におゆだねになります。それは、子にすべてを征服する力をお授けになった神様が、最高の存在となられるためです。

29 もし死者の復活がないのなら、死んだ人のためにバプテスマ(洗礼)を受けることには何の意味があるのですか。将来の死者の復活を信じてもいないのに、どうしてそんなことをするのでしょう。 30 また、なぜ私たちは、いつも死に直面し、いのちの危険にさらされるのに甘んじているのでしょうか。 31 事実、私は毎日、死に直面しています。このことは、あなたがたの主にある成長を私が誇るのと同じように、確かなことです。 32 もし私が、この地上の生涯のためにエペソでの苦難と戦ったのだとしたら、どれだけの価値があったでしょう。死後の復活などありえないのなら、「どうせ明日は死ぬ身だ。大いに飲み食いして、愉快に過ごそう」ということになります。 33 そういう人たちにだまされてはいけません。それに耳を傾けていると、同じ状態に陥ってしまいます。 34 目を覚まして、罪を犯すのをやめなさい。あなたがたが恥じ入るためにあえて言いますが、あなたがたの中には、神について実際には何も知らない人がいます。

復活の新しい体とは?

35 しかし、こう聞く人もいるでしょう。「死んだ人は、どのように復活するのですか。どんな体になるのですか。」 36 なんと愚かな質問でしょう。畑を見ればわかるではありませんか。まいた種は、まず死ななければ芽を出しません。 37 そして、その種から出る緑の芽は、初めの種とは全く別物です。土にまくのは、麦でも何でも、干からびた小さな種粒です。 38 ところが神様は、その種に、それぞれにふさわしい、美しく新しい体を与えてくださいます。それで、いろいろな種類の種から、それぞれ植物が成長してくるのです。 39 いろいろな種類の種や植物があるように、肉にもいろいろな種類があります。人間、獣、鳥、魚の肉は、それぞれみな異なっています。 40 天使は、私たちとは全く異なった体を持っています。その美しさや栄光は、人間の体の美しさや栄光とは異なっています。 41 太陽には太陽の栄光があり、月や星には別の栄光があります。一つ一つの星にも、美しさや輝きに違いがあります。

42 同じように、死んだら朽ち果てる、私たちの地上の体は、復活の時に与えられる体とは異なったものです。復活の体は決して死にません。 43 いま持っている体は、病気や死で私たちを悩ませます。しかし復活の時には、それは栄光に満ちたものとなるのです。確かに、今は死ぬべき弱い体ですが、復活の時には力にあふれた体となるのです。 44 そして、今は死ぬべき人間の肉体にすぎませんが、復活の時には、神から与えられる霊の体になります。自然のままの肉体があるように、神からの霊の体も存在するのです。 45 聖書には、「最初の人アダムは、生きたものとなった」創世2・7と書いてありますが、キリストは、いのちを与える方となられたのです。 46 初めはこのような体をまとっている私たちも、後には、霊の体を与えられます。 47 アダムは地上の土から造られた者ですが、キリストは天から来られた方です。 48 人間はだれでも、アダムと同じ土の体を持っています。しかし、キリストのものとなった人はみな、キリストと同じ、天から与えられる体を持つようになるのです。 49 今アダムと同じ体を持っている私たちは、そのように、いつの日かキリストと同じ体を持つのです。

50 愛する皆さん。念を押して言います。地上の、血と肉の体は、神の国から閉め出されます。今の私たちの体は死ぬべきもので、永遠に生きることはできません。 51 ここであなたがたに、驚くべき神の奥義を告げましょう。私たちはみな、新しい栄光の体をいただくのです。 52 終わりのラッパが鳴り渡る時、一瞬のうちにそうなるのです。天からラッパの音が響くと、死んでいたすべてのクリスチャンは、たちまち朽ちない新しい体に復活します。次に、まだ生き残っている者もまた、一瞬にして新しい体に変わるのです。 53 なぜなら、地上の死ぬべき今の体は、天上の決して死ぬことのない、永遠に生きる体に変えられなければならないからです。 54 この時、「死は勝利にのみ込まれた」イザヤ25・8という聖書のことばが現実となるのです。 55-56 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」ホセア13・14罪、すなわち死をもたらすとげは、ことごとく切り取られます。そして、罪をあばく律法も、もはや私たちをさばきません。 57 これらのことを、どう神に感謝したらよいでしょう。神様は、主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださるのです。 58 愛する皆さん。このように将来の勝利は確実なのですから、しっかり立って、動揺することなく、いつも、主の働きに熱心に励みなさい。なぜなら、復活は確かであり、主のための働きが決してむだに終わらないことを、あなたがたは知っているからです。