Add parallel Print Page Options

すべてがむなしい

ダビデ王の子で、エルサレムの王であり、「伝道者」と呼ばれたソロモンの教え。

思うに、この世に価値のあるものなどない。
すべてがむなしい。

3-7 人はあくせく働いた報酬として、
何を手に入れるというのか。

一つの時代が去り、新しい時代が来るが、
少しも変わらない。
太陽は昇っては沈み、また昇ろうと、
急ぎ元の所に帰って行く。
風は南に吹き、北に吹き、あちこち向きを変えるが、
結局行き着く所はない。
川は海に注ぐが、
海は決してあふれることはない。
水は再び川に戻り、また海に流れて行く。
8-11 何もかも、くり返すばかりで、
あきあきする。
どれだけ見ていても満足できない。
どれだけ聞いても、
もうこれで良いということはない。
歴史はくり返すだけ。
ほんとうに新しいものなど何もない。

新しいように見えても、必ず前例があるか、すでに言い古されたものです。何か、「これは新しいものだ」と指摘できるものがあるでしょうか。それがずっと昔になかったと、どうしてわかるのですか。私たちは、先の時代にどんなことが起こったのか忘れてしまいます。そればかりか、のちの時代になれば、私たちが今していることを、だれも覚えていないのです。

知恵はむなしい

12-15 伝道者である私はイスラエルの王で、エルサレムに住んでいました。私はこの世のあらゆることを理解しようと、全力を注ぎました。その結果、神が人間への分け前としてお与えになったものは、決して楽しいものでないことがわかりました。それはみな愚かに見え、風を追うようにむなしいものです。

間違ってしまったことは、もう正せない。
あったかもしれないものを考えてみたところで、
何の役に立とうか。

16-18 私は自分に言い聞かせました。「私はこれまでのエルサレムのどの王より、いろんな勉強もした。どの王より知恵や知識を得た。」私は賢くなろうと、一生懸命に努力しました。しかし、今ではそんな努力さえ、風をつかまえるようにむなしいことだとわかったのです。

賢くなればなるほど、悲しみも増える。
知識を増すことは、悩みを増す。

楽しみはむなしい

1-2 それで私は、「愉快に生きよう。思う存分楽しむのだ」と思いました。ところが、こうした生き方も実にむなしいことがわかりました。一日中笑っているのは愚かなことです。それが何の得になるのでしょう。

いろいろ試してみてから、私は知恵を探求し続ける一方で、酒を飲んで元気になろうと思いました。次に、もう一度考えを変えて、愚かな者になりきることにしました。多くの人が経験する幸福を味わってみようと思ったのです。

4-6 今度は、大規模な事業に乗り出して、仕事からくる充実感を得ようとしました。邸宅を建て、ぶどう園、庭園、公園、それに果樹園まで造り、良い作物を実らせるために貯水池まで造ってみたのです。

7-8 次に、男女の奴隷を買いました。私の家で生まれた奴隷たちもいます。ほかに家畜の群れも飼ってみましたが、その数は以前のどの王よりも多かったのです。さらに、多くの州や国から、税金として金銀をかき集めました。また文化的な活動として、混声コーラス・グループやオーケストラを組織しました。そのうえ私には、大ぜいの美しいそばめがいたのです。

こうして、歴代のエルサレムの王もしなかったような、あらゆることをやってみました。両眼をしっかり見開いて、これらのものの価値を見極めようとしたのです。 10 欲しいものは何でも手に入れ、したい放題の楽しみをしてみました。つらい仕事にも大きな喜びがあることを知りました。この喜びこそ、実に、あらゆる労働に共通した報酬なのです。

知恵と愚かさはむなしい

11 しかし、してきたことを振り返ってみると、どれもこれも役に立たないことばかりで、風を追うようなものでした。これこそ価値があると言えるものなど、どこにもありませんでした。

12 そこで、知恵と無知の価値を比較してみることにしました。おそらくだれでも、同じ結論に達するでしょう。 13-14 それは、こういうことです。光が闇にまさっているように、知恵は無知よりはるかに価値があります。賢い人は先々を正しく判断しますが、愚かな人は先のことがわかりません。ところが私は、知恵のある人にも知恵の足りない人にも共通点があることに気づきました。 15 知恵の足りない人が死ぬように、いずれこの私も死ぬということです。それなら、知恵をつけたところで、いったい何の益があるというのでしょう。私は、知恵をつけることでさえむなしいものだと悟ったのです。 16 賢い人も愚かな人も死ぬのです。時がたてば、両者とも、すっかり忘れられてしまいます。 17 私はここまでわかると、生きているのがいやになりました。人生は不条理きわまりないからです。何もかもむなしく、風を追うようなものです。

労苦はむなしい

18 一生懸命に築き上げたものが他者のものになると思うと、いやになってきます。 19 そればかりか、跡取り息子が愚か者か賢い者か、だれにわかるでしょう。それでも、私の財産はすべて、息子のものになるのです。なんと気分がめいることではありませんか。

20-23 こうして、満足感を与えてくれると考えていた労苦も愚かしく思われ、見切りをつけました。生涯をかけて知恵や知識や技術を追求しても、せっかく手に入れたものを全部、何もしなかった者に譲るはめになるのです。そんな者が、私が努力して得たものを受け継ぐのです。むなしいだけでなく、不公平です。どれほど必死に働いても何の役にも立ちません。あるものといえば、悲しみと悩みに押しつぶされそうな、心の休まらない日々と眠れない夜です。全くむなしい話ではありませんか。

24-26 そこで私は、食べたり飲んだりすることと、労働を楽しむこと以外に生きがいはない、と判断しました。しかも、このような楽しみさえ神の御手から来るとわかったのです。というのも、神の世話にならなければ、だれも食べたり楽しんだりすることはできないからです。神は、お心にかなった者に知恵、知識、喜びを与えます。ところが神は、罪人が金持ちになると、その財産を取り上げ、お心にかなった者に分け与えるのです。ここにも、風を追うようなむなしさの一例があります。

すべてのものには時がある

何事にも定まった時があります。
生まれる時、死ぬ時、植える時、収穫の時、
殺す時、病気が治る時、壊す時、やり直す時、
泣く時、笑う時、悲しむ時、踊る時、
石をばらまく時、石をかき集める時、
抱きしめる時、抱きしめない時、
何かを見つける時、物を失う時、
大切にしまっておく時、遠くに投げ捨てる時、
引き裂く時、修理する時、黙っている時、口を開く時、
愛する時、憎む時、戦う時、和解する時。

一生懸命働いたところで、何の益になるでしょう。 10 私はこのことを、神が人間に与えたさまざまの仕事と関連して考えてみました。 11 あらゆることには、ふさわしい時というものがあります。また神は、人間の心に永遠を思う思いを与えました。しかし、人は神の働きの全体を見ることができないのです。 12 私の結論はこうです。第一に、できるだけ幸福に過ごし、人生を楽しむ以上にすばらしいことはないということです。 13 第二に、人は食べたり飲んだりして自分の労苦の実を楽しみ、味わうべきだということです。それは神からの贈り物だからです。

14 続いて、次のことも知りました。神のすることは一点の非の打ちどころもなく、何一つ付け加えたり、取り除いたりすることはできません。神はこのことを通して、人が全能の神を恐れるようにと願っているのです。

15 今あるものは、ずっと昔にもあったことです。これから起こることも、以前に起こったことです。神は、はるか昔にあって今は跡形もなくなっているものを再び生じさせているのです。

16 私はそれだけでなく、世界中で正義がすたれて犯罪が増し、法廷さえ金次第になっていることを知りました。 17 私は心の中で言いました。「やがて、神が人間のしたことを、良いことも悪いことも全部さばく時がくる。」

18 私はまた、神が罪深い今の世界をそのままにしておくのは、人間を試すためであり、人間が獣と変わらないことを悟らせるためであることに気づきました。 19 人間も動物も、同じ空気を吸い、同じように死んでいきます。人間が獣より優れている点などないのです。なんとむなしいことでしょう。 20 どちらも同じ所へ行くのです。土から出て土に帰るのです。 21 こんなことを言うのも、人の霊は天に上り、動物の霊は地中深く降りて行くことを、誰ひとり証明できないからです。 22 だからこそ、自分の仕事に生きがいを見いだす以上に幸福なことはないと判断したのです。これが人間が地上にいる理由です。未来に起こることを楽しむことはできないのですから、今のうちに人生を十分に楽しむことです。

すべてがむなしい

ダビデ王の子で、エルサレムの王であり、「伝道者」と呼ばれたソロモンの教え。

思うに、この世に価値のあるものなどない。
すべてがむなしい。

3-7 人はあくせく働いた報酬として、
何を手に入れるというのか。

一つの時代が去り、新しい時代が来るが、
少しも変わらない。
太陽は昇っては沈み、また昇ろうと、
急ぎ元の所に帰って行く。
風は南に吹き、北に吹き、あちこち向きを変えるが、
結局行き着く所はない。
川は海に注ぐが、
海は決してあふれることはない。
水は再び川に戻り、また海に流れて行く。
8-11 何もかも、くり返すばかりで、
あきあきする。
どれだけ見ていても満足できない。
どれだけ聞いても、
もうこれで良いということはない。
歴史はくり返すだけ。
ほんとうに新しいものなど何もない。

新しいように見えても、必ず前例があるか、すでに言い古されたものです。何か、「これは新しいものだ」と指摘できるものがあるでしょうか。それがずっと昔になかったと、どうしてわかるのですか。私たちは、先の時代にどんなことが起こったのか忘れてしまいます。そればかりか、のちの時代になれば、私たちが今していることを、だれも覚えていないのです。

知恵はむなしい

12-15 伝道者である私はイスラエルの王で、エルサレムに住んでいました。私はこの世のあらゆることを理解しようと、全力を注ぎました。その結果、神が人間への分け前としてお与えになったものは、決して楽しいものでないことがわかりました。それはみな愚かに見え、風を追うようにむなしいものです。

間違ってしまったことは、もう正せない。
あったかもしれないものを考えてみたところで、
何の役に立とうか。

16-18 私は自分に言い聞かせました。「私はこれまでのエルサレムのどの王より、いろんな勉強もした。どの王より知恵や知識を得た。」私は賢くなろうと、一生懸命に努力しました。しかし、今ではそんな努力さえ、風をつかまえるようにむなしいことだとわかったのです。

賢くなればなるほど、悲しみも増える。
知識を増すことは、悩みを増す。

楽しみはむなしい

1-2 それで私は、「愉快に生きよう。思う存分楽しむのだ」と思いました。ところが、こうした生き方も実にむなしいことがわかりました。一日中笑っているのは愚かなことです。それが何の得になるのでしょう。

いろいろ試してみてから、私は知恵を探求し続ける一方で、酒を飲んで元気になろうと思いました。次に、もう一度考えを変えて、愚かな者になりきることにしました。多くの人が経験する幸福を味わってみようと思ったのです。

4-6 今度は、大規模な事業に乗り出して、仕事からくる充実感を得ようとしました。邸宅を建て、ぶどう園、庭園、公園、それに果樹園まで造り、良い作物を実らせるために貯水池まで造ってみたのです。

7-8 次に、男女の奴隷を買いました。私の家で生まれた奴隷たちもいます。ほかに家畜の群れも飼ってみましたが、その数は以前のどの王よりも多かったのです。さらに、多くの州や国から、税金として金銀をかき集めました。また文化的な活動として、混声コーラス・グループやオーケストラを組織しました。そのうえ私には、大ぜいの美しいそばめがいたのです。

こうして、歴代のエルサレムの王もしなかったような、あらゆることをやってみました。両眼をしっかり見開いて、これらのものの価値を見極めようとしたのです。 10 欲しいものは何でも手に入れ、したい放題の楽しみをしてみました。つらい仕事にも大きな喜びがあることを知りました。この喜びこそ、実に、あらゆる労働に共通した報酬なのです。

知恵と愚かさはむなしい

11 しかし、してきたことを振り返ってみると、どれもこれも役に立たないことばかりで、風を追うようなものでした。これこそ価値があると言えるものなど、どこにもありませんでした。

12 そこで、知恵と無知の価値を比較してみることにしました。おそらくだれでも、同じ結論に達するでしょう。 13-14 それは、こういうことです。光が闇にまさっているように、知恵は無知よりはるかに価値があります。賢い人は先々を正しく判断しますが、愚かな人は先のことがわかりません。ところが私は、知恵のある人にも知恵の足りない人にも共通点があることに気づきました。 15 知恵の足りない人が死ぬように、いずれこの私も死ぬということです。それなら、知恵をつけたところで、いったい何の益があるというのでしょう。私は、知恵をつけることでさえむなしいものだと悟ったのです。 16 賢い人も愚かな人も死ぬのです。時がたてば、両者とも、すっかり忘れられてしまいます。 17 私はここまでわかると、生きているのがいやになりました。人生は不条理きわまりないからです。何もかもむなしく、風を追うようなものです。

労苦はむなしい

18 一生懸命に築き上げたものが他者のものになると思うと、いやになってきます。 19 そればかりか、跡取り息子が愚か者か賢い者か、だれにわかるでしょう。それでも、私の財産はすべて、息子のものになるのです。なんと気分がめいることではありませんか。

20-23 こうして、満足感を与えてくれると考えていた労苦も愚かしく思われ、見切りをつけました。生涯をかけて知恵や知識や技術を追求しても、せっかく手に入れたものを全部、何もしなかった者に譲るはめになるのです。そんな者が、私が努力して得たものを受け継ぐのです。むなしいだけでなく、不公平です。どれほど必死に働いても何の役にも立ちません。あるものといえば、悲しみと悩みに押しつぶされそうな、心の休まらない日々と眠れない夜です。全くむなしい話ではありませんか。

24-26 そこで私は、食べたり飲んだりすることと、労働を楽しむこと以外に生きがいはない、と判断しました。しかも、このような楽しみさえ神の御手から来るとわかったのです。というのも、神の世話にならなければ、だれも食べたり楽しんだりすることはできないからです。神は、お心にかなった者に知恵、知識、喜びを与えます。ところが神は、罪人が金持ちになると、その財産を取り上げ、お心にかなった者に分け与えるのです。ここにも、風を追うようなむなしさの一例があります。

すべてのものには時がある

何事にも定まった時があります。
生まれる時、死ぬ時、植える時、収穫の時、
殺す時、病気が治る時、壊す時、やり直す時、
泣く時、笑う時、悲しむ時、踊る時、
石をばらまく時、石をかき集める時、
抱きしめる時、抱きしめない時、
何かを見つける時、物を失う時、
大切にしまっておく時、遠くに投げ捨てる時、
引き裂く時、修理する時、黙っている時、口を開く時、
愛する時、憎む時、戦う時、和解する時。

一生懸命働いたところで、何の益になるでしょう。 10 私はこのことを、神が人間に与えたさまざまの仕事と関連して考えてみました。 11 あらゆることには、ふさわしい時というものがあります。また神は、人間の心に永遠を思う思いを与えました。しかし、人は神の働きの全体を見ることができないのです。 12 私の結論はこうです。第一に、できるだけ幸福に過ごし、人生を楽しむ以上にすばらしいことはないということです。 13 第二に、人は食べたり飲んだりして自分の労苦の実を楽しみ、味わうべきだということです。それは神からの贈り物だからです。

14 続いて、次のことも知りました。神のすることは一点の非の打ちどころもなく、何一つ付け加えたり、取り除いたりすることはできません。神はこのことを通して、人が全能の神を恐れるようにと願っているのです。

15 今あるものは、ずっと昔にもあったことです。これから起こることも、以前に起こったことです。神は、はるか昔にあって今は跡形もなくなっているものを再び生じさせているのです。

16 私はそれだけでなく、世界中で正義がすたれて犯罪が増し、法廷さえ金次第になっていることを知りました。 17 私は心の中で言いました。「やがて、神が人間のしたことを、良いことも悪いことも全部さばく時がくる。」

18 私はまた、神が罪深い今の世界をそのままにしておくのは、人間を試すためであり、人間が獣と変わらないことを悟らせるためであることに気づきました。 19 人間も動物も、同じ空気を吸い、同じように死んでいきます。人間が獣より優れている点などないのです。なんとむなしいことでしょう。 20 どちらも同じ所へ行くのです。土から出て土に帰るのです。 21 こんなことを言うのも、人の霊は天に上り、動物の霊は地中深く降りて行くことを、誰ひとり証明できないからです。 22 だからこそ、自分の仕事に生きがいを見いだす以上に幸福なことはないと判断したのです。これが人間が地上にいる理由です。未来に起こることを楽しむことはできないのですから、今のうちに人生を十分に楽しむことです。

45 私の心は美しい思いであふれています。
さあ、うるわしい詩を王にささげましょう。
またたくまに物語をつづる詩人のように、
ことばがわき上がってくるのです。

あなたはだれより美しい。
あなたのことばは優しさにあふれている。
あなたは永遠に神の祝福に包まれる人。
力強い方よ、
威風堂々として、腰に剣を着けよ。
威厳をまとい、勝ち進め。
真理と謙遜と正義のために、
恐るべきわざがなされるよう、粛清を推し進めよ。
あなたの矢は鋭く、敵の胸に突き刺さる。
敵はあなたの目の前に倒れる。
神の王座は永遠、神の笏は正義。
真実を愛し、悪を憎むあなたに、
神は格別大きな喜びをお授けになった。

あなたの服には
没薬、アロエ、シナモンの芳香がただよいます。
象牙をちりばめた宮殿では、
ここちよい音楽がかなでられています。
諸王の娘があなたに仕える女たちに加わり、
王妃は、オフィル産の最高級の金の飾りを着け、
あなたのかたわらに立っています。

10-11 「娘よ、私の忠告を聞きなさい。
遠い故国の父や母を思って悲しんではいけません。
あなたには王という夫があり、
王はあなたの美しさを喜んでおられます。
主人である王に、うやうやしく仕えなさい。
12 当世で最も金回りのよいツロの人々が、
あなたの歓心を買おうと、
贈り物を山と積んで来るでしょう。」
13 花嫁姿の王女は、金の糸で織った
美しい晴れ着をまとい、自室で控えています。
14 侍女にかしずかれ、しずしずと王の前に出る、
その姿の美しいこと!
15 王宮の門をくぐる行列は、
なんと楽しげで、うれしそうなのでしょう。
16 「あなたから生まれる子どもは、
いつか父の跡を継いで王となり、世界を支配します。
17 わたしはあなたの名を、のちの世までも輝かせます。
諸国民はいつまでも称賛してやまないでしょう。」

45 私の心は美しい思いであふれています。
さあ、うるわしい詩を王にささげましょう。
またたくまに物語をつづる詩人のように、
ことばがわき上がってくるのです。

あなたはだれより美しい。
あなたのことばは優しさにあふれている。
あなたは永遠に神の祝福に包まれる人。
力強い方よ、
威風堂々として、腰に剣を着けよ。
威厳をまとい、勝ち進め。
真理と謙遜と正義のために、
恐るべきわざがなされるよう、粛清を推し進めよ。
あなたの矢は鋭く、敵の胸に突き刺さる。
敵はあなたの目の前に倒れる。
神の王座は永遠、神の笏は正義。
真実を愛し、悪を憎むあなたに、
神は格別大きな喜びをお授けになった。

あなたの服には
没薬、アロエ、シナモンの芳香がただよいます。
象牙をちりばめた宮殿では、
ここちよい音楽がかなでられています。
諸王の娘があなたに仕える女たちに加わり、
王妃は、オフィル産の最高級の金の飾りを着け、
あなたのかたわらに立っています。

10-11 「娘よ、私の忠告を聞きなさい。
遠い故国の父や母を思って悲しんではいけません。
あなたには王という夫があり、
王はあなたの美しさを喜んでおられます。
主人である王に、うやうやしく仕えなさい。
12 当世で最も金回りのよいツロの人々が、
あなたの歓心を買おうと、
贈り物を山と積んで来るでしょう。」
13 花嫁姿の王女は、金の糸で織った
美しい晴れ着をまとい、自室で控えています。
14 侍女にかしずかれ、しずしずと王の前に出る、
その姿の美しいこと!
15 王宮の門をくぐる行列は、
なんと楽しげで、うれしそうなのでしょう。
16 「あなたから生まれる子どもは、
いつか父の跡を継いで王となり、世界を支配します。
17 わたしはあなたの名を、のちの世までも輝かせます。
諸国民はいつまでも称賛してやまないでしょう。」

恵みによる救い

以前のあなたがたは、罪のために永遠に滅びる定めにありました。 この世の人と同じ生き方をし、罪にまみれ、主に反抗する人の心に今も働いている、力ある支配者サタンの言うままになっていたのです。 私たちもみな、以前はほかの人たちと同じで、その生活は、心にある悪を反映したものでした。欲望や心のおもむくままに生き、行動していたのです。私たちは、生まれながらに神の怒りを受けて当然の者でした。 しかし神は、なんとあわれみに満ちたお方でしょう。こんな私たちを深く愛してくださって、 罪のために霊的に死に果て、滅びる定めにあった私たちを、キリストの復活と共に生かしてくださいました。救われる価値などない私たちに、ただ一方的な恵みが注がれたのです。 そして、キリストと共に、私たちを墓の中から栄光へと引き上げ、キリストと共に席に着かせてくださいました。 神がキリスト・イエスを通してなしてくださった、すべてのことからも、神の恵みのすばらしさがわかります。私たちは今、その恵みがどんなに豊かであるかを示す見本とされているのです。

あなたがたは、恵みにより、キリストを信じることによって救われたのです。しかも、そのキリストを信じることすらも、あなたがたから自発的に出たことではありません。それもまた、神からの賜物(贈り物)です。 救いは、私たちの良い行いに対する報酬ではありません。ですから、だれ一人、それを誇ることはできません。 10 私たちをこのように造り変え、キリスト・イエスによる新しい生活に入れてくださったのは神です。この新しい生活は、神がずっと以前から計画してくださったものであり、私たちが互いに助け合って過ごすためでした。

敵意と対立は除かれた

11 あなたがたも以前は異教徒として、ユダヤ人から、神を信じない「汚れた者」と呼ばれていたことを思い出してください。もっとも、そういうユダヤ人も、神を敬うしるしとしての割礼(男子が生まれて八日目に、その性器の包皮を切り取る儀式)を受けて、信心深そうに儀式や礼拝を守っていたとはいえ、心は汚れたままだったのですが。 12 そのころのあなたがたは、キリストとは全くの無縁で、神の民に敵対し、神から何の助けも約束されていませんでした。神もなく、望みもない、滅びる以外にない存在でした。

13 しかし、以前は神から遠く離れていたあなたがたも、キリスト・イエスがその血をもってなしてくださったことによって、今では、神のそば近くにいるのです。 14 キリストこそ、私たちの平和の道です。この方は、私たちユダヤ人とあなたがた外国人とを一つの家族とし、両者を隔てていた壁を打ちこわして、平和をつくり出してくださいました。 15 ご自分の死によって、互いの激しい敵意を除いてくださったのです。その敵意の原因は、ユダヤ人を特別扱いし、外国人をのけ者にするユダヤ教のさまざまな戒律でした。その律法制度自体を無効にするために、キリストは死んでくださったのです。そして、互いに対立していた二つのものを融合させ、新しい一つの体をつくり上げて、平和を実現されました。 16 両者が神と和解し、同じ体のそれぞれの器官になったので、互いの怒りは消え去りました。こうして互いの反目は、十字架によって終わりを告げたのです。

17 そして、キリストは、遠く離れていたあなたがた外国人にも、近くにいた私たちユダヤ人にも、平和をもたらしてくださいました。 18 このキリストによって、ユダヤ人も外国人も、一つの御霊に助けられつつ父である神のもとに行くことができるのです。 19 あなたがたはもはや、神にとって見知らぬ他国人でも、天国に縁のないよそ者でもありません。神の家族の一員であり、神の国の市民なのです。すべてのクリスチャンと共に、神の一家を構成しているのです。 20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、この建物の最も重要な礎石はキリスト・イエスです。 21 私たち信じる者は、聖なる神殿を目指す建物として、共にキリストにあって組み合わされて成長していくのです。 22 あなたがたもまた、キリストにあって共に建てられ、聖霊によって神の住まれる所となるのです。

恵みによる救い

以前のあなたがたは、罪のために永遠に滅びる定めにありました。 この世の人と同じ生き方をし、罪にまみれ、主に反抗する人の心に今も働いている、力ある支配者サタンの言うままになっていたのです。 私たちもみな、以前はほかの人たちと同じで、その生活は、心にある悪を反映したものでした。欲望や心のおもむくままに生き、行動していたのです。私たちは、生まれながらに神の怒りを受けて当然の者でした。 しかし神は、なんとあわれみに満ちたお方でしょう。こんな私たちを深く愛してくださって、 罪のために霊的に死に果て、滅びる定めにあった私たちを、キリストの復活と共に生かしてくださいました。救われる価値などない私たちに、ただ一方的な恵みが注がれたのです。 そして、キリストと共に、私たちを墓の中から栄光へと引き上げ、キリストと共に席に着かせてくださいました。 神がキリスト・イエスを通してなしてくださった、すべてのことからも、神の恵みのすばらしさがわかります。私たちは今、その恵みがどんなに豊かであるかを示す見本とされているのです。

あなたがたは、恵みにより、キリストを信じることによって救われたのです。しかも、そのキリストを信じることすらも、あなたがたから自発的に出たことではありません。それもまた、神からの賜物(贈り物)です。 救いは、私たちの良い行いに対する報酬ではありません。ですから、だれ一人、それを誇ることはできません。 10 私たちをこのように造り変え、キリスト・イエスによる新しい生活に入れてくださったのは神です。この新しい生活は、神がずっと以前から計画してくださったものであり、私たちが互いに助け合って過ごすためでした。

敵意と対立は除かれた

11 あなたがたも以前は異教徒として、ユダヤ人から、神を信じない「汚れた者」と呼ばれていたことを思い出してください。もっとも、そういうユダヤ人も、神を敬うしるしとしての割礼(男子が生まれて八日目に、その性器の包皮を切り取る儀式)を受けて、信心深そうに儀式や礼拝を守っていたとはいえ、心は汚れたままだったのですが。 12 そのころのあなたがたは、キリストとは全くの無縁で、神の民に敵対し、神から何の助けも約束されていませんでした。神もなく、望みもない、滅びる以外にない存在でした。

13 しかし、以前は神から遠く離れていたあなたがたも、キリスト・イエスがその血をもってなしてくださったことによって、今では、神のそば近くにいるのです。 14 キリストこそ、私たちの平和の道です。この方は、私たちユダヤ人とあなたがた外国人とを一つの家族とし、両者を隔てていた壁を打ちこわして、平和をつくり出してくださいました。 15 ご自分の死によって、互いの激しい敵意を除いてくださったのです。その敵意の原因は、ユダヤ人を特別扱いし、外国人をのけ者にするユダヤ教のさまざまな戒律でした。その律法制度自体を無効にするために、キリストは死んでくださったのです。そして、互いに対立していた二つのものを融合させ、新しい一つの体をつくり上げて、平和を実現されました。 16 両者が神と和解し、同じ体のそれぞれの器官になったので、互いの怒りは消え去りました。こうして互いの反目は、十字架によって終わりを告げたのです。

17 そして、キリストは、遠く離れていたあなたがた外国人にも、近くにいた私たちユダヤ人にも、平和をもたらしてくださいました。 18 このキリストによって、ユダヤ人も外国人も、一つの御霊に助けられつつ父である神のもとに行くことができるのです。 19 あなたがたはもはや、神にとって見知らぬ他国人でも、天国に縁のないよそ者でもありません。神の家族の一員であり、神の国の市民なのです。すべてのクリスチャンと共に、神の一家を構成しているのです。 20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、この建物の最も重要な礎石はキリスト・イエスです。 21 私たち信じる者は、聖なる神殿を目指す建物として、共にキリストにあって組み合わされて成長していくのです。 22 あなたがたもまた、キリストにあって共に建てられ、聖霊によって神の住まれる所となるのです。