ローマ人への手紙 11
Japanese Living Bible
ユダヤ人は見捨てられない
11 では、神はご自分の民であるユダヤ人を退け、見捨ててしまわれたのでしょうか。決してそんなことはありません。この私もユダヤ人であり、アブラハムの子孫、ベニヤミン族の一人であることを忘れないでください。
2-3 神はもちろん、最初から選んだご自分の民を見捨てたわけではありません。聖書には何と書いてあるでしょうか。預言者エリヤはユダヤ人を告発し、彼らが他の預言者たちを殺し、神の祭壇をこわしたことを神に訴えています(Ⅰ列王19章)。「今なおあなたを愛する者は、この国中で私一人です。その私も、殺されそうなのです」と。 4 それに対して神が何とお答えになったか、覚えていますか。「いや、あなただけではない。わたしには、なおもわたしを愛し、偶像を拝んだことのない人がほかに七千人いる。」 5 それと同じように、神の恵みによって選ばれ、救われている人々が少数ながらいるのです。 6 しかし、それは神の恵みによるのであり、彼らの行いによるのではありません。そうでなければ、恵みが恵みでなくなってしまいます。
7 大部分のユダヤ人は、追い求めていた神の恵みを得ることができませんでした。恵みを得たのは、神に選ばれた少数の者だけでした。ほかの人々は心を閉ざされてしまったのです。 8 次のように記されているのは、そのことなのです。
「神は彼らを眠らせ、目と耳とをふさがれた。
それゆえ、(キリストのことを)語りかけても、
彼らにはわからない。
今日までその状態は続いている。」(イザヤ6・10)
9 ダビデも同じことを言っています。
「食卓のごちそうや、さまざまの祝福は
彼らのわなとなれ。彼らを、
『神とは万事うまくいっている』
という思いにさせよ。
これらの良いものがはね返って来て、
彼らの頭上に落ち、
当然の報いとして彼らを押しつぶすがいい。
10 彼らの目は見えなくなれ。
重荷を負わされて、
いつまでも背中を曲げたまま歩くがいい。」(詩篇69・22-23)
11 これは、神がご自分の民であるユダヤ人を退けてしまわれたことを意味するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。神の目的は、このことによって神の救いが外国人にも及び、その結果、ユダヤ人がねたんで、自分でも救いを求めるようになることにあったのです。 12 考えてごらんなさい。彼らが神の救いにつまずき、それを拒んだことによって、全世界が豊かに恵まれたのです。とすれば、後にユダヤ人がキリストに立ち返る時には、どんなにすばらしい祝福がもたらされることでしょう。
13 外国人の方々に言いますが、神は私を、あなたがた外国人への使徒に任命してくださったので、私はそれを大切な使命としています。 14 しかし何とかして、ユダヤ人にも、あなたがた外国人が持っているものを求めさせ、幾人かでも救いたいのです。 15 彼らがクリスチャンになったら、どんなにすばらしいでしょう。神がユダヤ人から御顔をそむけられたために、神の救いが、世界のユダヤ人以外の人々に差し出されたのです。とすれば、ユダヤ人がキリストに立ち返るなら、もっとすばらしいことが起こります。それはちょうど、死者が生き返るようなものです。 16 アブラハムや預言者は神の民なのですから、その子孫もまた神の民となるはずです。木の根がきよければ、その枝もきよくなるはずだからです。
17 ところが、アブラハムの子孫という、オリーブの木の幾枝かが折り取られ、そして、いわば野生のオリーブの木の枝であった外国人のあなたがたが、それにつぎ木されました。それで今、あなたがたも、神がオリーブの木に注がれる、特別に豊かな滋養分にあずかって、アブラハムとその子孫とに約束された祝福をいただいているのです。 18 ですから、折り取られた枝の代わりにつぎ木されたことを、誇ってはいけません。あなたがたは枝であって、根があなたがたを支えているからです。 19 あなたは、「前の枝が折られたのは、私に場所を譲るためだった。とすれば、私はかなりいい人間に違いない」と考えるかもしれません。 20 気をつけなさい。ユダヤ人のその枝が折り取られたのは神を信じなかったからであり、あなたがたがつぎ木されたのは、ただ神を信じたからです。このことを忘れないようにしなさい。高ぶってはいけません。むしろ、謙虚になって神を恐れなさい。 21 もし神が台木の枝を惜しまなかったとすれば、ましてや、神をもはや信じないあなたがたを惜しむことはなさらないでしょう。
神の約束は変わらない
22 神がどんなに恵み深く、また、どんなにきびしい方かを考えてみなさい。神は不従順な者にはきびしく、神を愛し、信じる者には恵み深いお方です。もし神を愛さず、信じないなら、あなたがたもまた切り取られてしまうのです。 23 一方、ユダヤ人が不信仰な生き方をやめて神に立ち返るなら、神はまた、もとの木についでくださいます。神には、そうする力があるのです。 24 あなたがたは野生のオリーブの木の一部として、神から遠く離れた存在でしたが、神は受け入れ、ご自分の良い木についでくださったのです。とすれば、もともとその木の枝であったユダヤ人は、もっとたやすく神の台木につぎ木されるのではないでしょうか。
25 愛する皆さん。この神の真理を知っていただきたいのです。そうすれば、高ぶったり、自慢したりすることもないでしょう。確かに今、ユダヤ人のある者はこの救いの真理に反対していますが、そのような状態が続くのは、あなたがた外国人のうち、救いを願う者がすべてキリストのもとに来るまでの間にすぎません。 26 その時が来れば、イスラエルはみな救われます。このことについて、預言者は何と言っているでしょう。
「一人の救い手がシオンから出て、
ユダヤ人をあらゆる不敬虔から立ち返らせる。
27 その時わたしは、
約束どおり、彼らの罪を取り除く。」(イザヤ59・20-21)
28 今のところ、ユダヤ人の多くは福音に敵対し、それを憎んでいます。しかし、そのことはかえって、あなたがたには益となりました。というのは、神がその救いの賜物をあなたがた外国人に与えてくださることになったからです。しかし彼らユダヤ人は、神がアブラハム、イサク、ヤコブにお与えになった約束のゆえに、今でも愛されているのです。 29 神の賜物と招きは決して取り消されないからです。 30 あなたがたは以前は神に逆らっていましたが、ユダヤ人が神の賜物を拒んだので、代わりに神のあわれみを受けることになりました。 31 そして今、ユダヤ人は神に逆らっていますが、いつの日か彼らもまた、あなたがたの受けている慈しみとあわれみを共に受けるようになるのです。 32 なぜなら、神はすべての人を同じようにあわれもうとして、すべての人が不従順の罪に落ちるままにされたからです。
33 ああ、なんとすばらしい神を、私たちは信じていることでしょう。その知恵と知識と富は、なんと豊かなことでしょう。神のなされる方法を理解することなど、とうていできません。 34 いったいだれが、主のお心を知ることができますか。だれが、主のご計画の相談に加わるほどの知識を持っていますか。 35 また、いったいだれが、主から報いがいただけるほど十分に主にささげましたか。 36 というのは、すべてのものは神から出て、神に生かされ、神の栄光のために存在しているからです。どうか、この神に栄光がとこしえにありますように。
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